教育福島0077号(1982年(S57)12月)-022page
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随想
時の流れの中で
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佐藤 信治
夜どおしないていた蛙の声が、いつの間にかコオロギに変わり、初秋の静けさがあたりをおおう今日この頃、借りている農家の離れで一人机に向かっていると、新任当初のあの、あわただしさが、ふと脳裏をかすめる。あれから、もう、半年。今更ながらに、時の流れの早さを感じる。
学生時代、「先生になったら、こんなことをしてみよう」「子どもたちとうまくそりが合うだろうか」などと、期待と不安に胸をときめかせて、書物を買いあさり、自分なりに研究してはきたが、理論と実際とでは、全く似ても似つかないものであった。
山村の小学校に赴任、担任は五年生男女各九名の小じんまりしたクラスである。
「なんだ、わずか十八名か、これなら簡単だ」
と、半分のんでかかったが、ところがである。なんとこの十八人の恐ろしさと言ったらないのである。それぞれが個性を発揮し、まったく、手のつけようがなかった。授業のベルが鳴っても席にも着かず、机間巡視をすれば、「らるせえな」などと、ふざける者があったりして、ほとんど授業にならなかった。
私は、初日ではあったが、たまりかね、持ち前のいかりの大声を発してしまった。不気味な静けさが教室を支配した。少しやりすぎたとは思ったがその時は夢中で、その日一日何をどらして過ごしたのか覚えていなかった。ただ、何かに裏切られたよらで、くやしくてくやしくて、なかなか寝つかれなかった。
でも、妙なことに、次の日の朝、通勤する自分の足取りが、以外と軽かった。不思議な程、前の日のくやしさへむなしさがどこかに吹きとんで、
「きようこそは、うまくやってやろら」
というさっぱりした気持ちになっていた。
そんな日の繰り返しが二週間程続いたある日、「五年生になって」という作文の課題に、ほとんどの子が私について書いた。怖い先生だとか、きびしい先生だとか書いてある中で、ある男の子が
「ぼくは、信治先生が好きです。こわいときらっている人もいますが、不思議でしかたがありません」
と書いてあった。また、女の子は、
「今度の先生は、こわいけど、やさしいところがあるから好きです。六年になってもこの先生だといいな」と。
私は、思わずこみあげてくるものがあり、何度も、二つの作文を読み返した。これらの子に対して、特にえこひいきした記憶もないし、むしろ怒ることの方が多かったようにも思えるのに私を理解してくれたことがとてもうれしかった。毎日苦労したかいがあったと思った。これが人の言う、教師冥利なのだろうか、先生になって本当に良かったなと思った。たとえ一人でも二人でも、やるだけやれば、認めてくれる子どもがいるんだなと思うと、「よし、これからもがんばるぞ!」という気持ちが湧いてきた。
それ以来、「先生がやるなら、ぼくだって」という児童が一人二人と増えてきて、私も、「君たちがやるなら、先生だって」という気負った気持で授業に思わず熱が入るようになった。今では、合唱指導、陸上競技、ソフトボールの練習等、何でも首をつっこんで張り切ってやっている。体あたりで誠心誠意、やるだけやれば、子どももついてくるという信念と、初めて教壇に立ったときの初心を生涯忘れずに教育の道に精進していきたいと思う。
(石川町立南山形小学校教諭)
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信頼にこたえて
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