教育福島0077号(1982年(S57)12月)-027page

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随想

 

期待と祈りの中で

 

清野 清子

 

清野 清子

 

この半年間、私はこの子らに対して何を為し得たであろうか。はなはだ、答えに窮する有様である。話し言葉をほとんど持たない上に、動きの激しい六人の子供たちを目の前にして、まさしく、無我夢中の毎日であった。

無言のFちゃんの眼が、じっと私を見つめ、何かを訴えている。でも、私には何だかわからなかった。「お願いお話して、何をしたいのか、何が欲しいの−。ごめんね、わかってあげられなくて…」心の中で幾度となくわびる自分がたまらなかった。ある時には行動を阻止されたU君が放尿し、どうしていいかわからず、うろたえ、またある時には、情緒が乱れたH君に親指をかみつかれ、千切れんばかりの痛さに叱る言葉もなくしてしまった私であった。この子らの声にはならない心のつぶやきを、読み取る眼が欲しいと切実に願う毎日だった。

それでも、日を重ねるごとに、子供たちの表情やしぐさから何とか彼らの要求が理解できるようになってきた。子供たちとの接し方にもゆとりが持てるようになり、“子供に学ぶ”という姿勢の大切さを痛感させられている。

とりわけ、K君とのかかわりは貴重な教えを受けるものとなった。身辺処理には全面介助を要し、言葉がなく多動なK君、トイレでの排尿は成立せず失禁が続いた。十分ごとにトイレに連れて行っても、次回にはすでにパンツがぬれていた。ニコニコ顔のK君を叱る言葉はなかった。叱ってみたところで、言語理解が全くできない彼には、無駄なことだったのである。

子供たちが帰った後で、洗たくをしながら、「ああ、今日もこんなにか…」とため息混じりの言葉が口をつく。

いっこうに減らない、洗たく物の山を恨めしく見つめながら、空しさにおそわれた。それでも、根気が大切とばかりに、括約筋の鍛練のため手をつないで散歩させる一方、ひたすら定時排尿を続けた。初めは意気込んでいた私も、三カ月、四カ月という時の流れに焦り、精神的にも疲れていった。そして、あきらめ心が頭をもたげかけてきたある日のこと、ついに、尿が便器を伝って流れたのである。

「願いがK君にも通じたのね」という傍らの先生の言葉に、私はぎくっとした。新採用研修の講義の中で、「教師の仕事は、期待と祈りがあるから作業にはならないのだ」といった主旨の話に感銘したことを思い出したのである。K君に対する私の行為は単なる作業になっていはしなかっただろうか、“いかなる子供も、可能性を密めている”ということが、教育の大前提であり、その可能性に信頼を寄せなければ教育は成り立たない。可能性を否定することは、期待と祈りを捨てることになりはしないか。私はK君に対して、申し訳ないという気持でいっぱいになった。彼の持つ可能性を信じきれなかった自分が、腹立たしく、恥かしかった。こんな未熟な私にK君は身をもって貴い教えを与えてくれたのである。“ありがとうK君”私は何度も心の中でつぶやいた。

期待と祈り−それは、可能性への信頼があってこそ生まれてくるものであろう。身振りで「チョウダイ」ができるようになったU君。ひとりで給食が食べられるよらになったN君。絵カードと文字カードのマッチングができるようになったFちゃん。目の前にいるこの子らの一つ一つの歩みが、それぞれの可能性を証明しているではないか−。

子供たちの一人一人に期待と祈りを抱きつつ、ともに成長して行きたいと願う毎日である。

(福島県立西郷養護学校教諭)

 

可能性を信じて……

可能性を信じて……

 

 

 

 


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