教育福島0079号(1983年(S58)02月)-005page

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巻頭言

 

教師と研修

舟山 昇

 

て子供一人一人が秘めている可能性を最大限に伸ばすことであるといえる。

 

教育とは、教師と子供の人間的なふれ合いのもとに、教師の指導力によって子供一人一人が秘めている可能性を最大限に伸ばすことであるといえる。

このように教育を考えるならば、教育の成果は、まさに教師の資質にかかるものであり、それゆえに教師の資質の向上が求められるのである。この教師の資質の向上をもたらすものこそ研修であり、研修なくして教師が教師であるとはいえないのではなかろうか。

「教職は、厳しい不断の研究により得られ、かつ、維持される専門的な知識及び技能を教員に要求する」ものであるが故に、教職を専門職とみなす論議が起こるのは当然であり、この専門職としての内案を高め、専門職性を支えていくための教師の研修が重視されねばならないことも、また当然のことである。研修こそ教師の生命であるというべきであろう。

私は、このように、教師に厳しく求められる絶えざる研修とは、教師としての望ましい成長を目指して、教職生涯を通して常に自ら研修に取り組むことだと考える。教職を一つのライフサイクルとみた場合、それぞれの年代に即した実践的な研修課題が、いつも私たち教師に課せられているように思われるのである。

教育への情熱を抱き、教職についた二十代の青年教師には、あらゆる分野の実践に体当たりで取り組み、教育とは何かを真に理解し、全ての教育活動に必要な基礎的事項を研修し資質の向上に努めるという課題があり、若さでぶつかる実践が求められるのである。また、このような後輩を指導する立場にある三十代、四十代の教師にも、経営的着想で、学校、学年、教科、領域等のあり方を求め、中堅教師として、あるいは指導的教師として資質の向上を図るという課題があろう。

福島県教育センターで実施している研修事業は、教職員の資質能力の絶えざる向上を目指して策定された「福島県公立学校教職員現職教育計画」に基づくものであるが、この計画の基本的な考えとして、体系化と効果的推進の二点があげられている。新採用教員研修を起点として、その後の教職歴におけるあらゆる時点ごとの研修を系統的・組織的に行おうとする体系化の意図も、私の考える教師の年代に即した研修課題への対応とみることができるのではないだろうか。

ともあれ、教師の生きがいは、日々の教育実践の過程で、かけがえのない目の前の児童生徒にとっての望ましい教師としてのあり方を求め、常に自ら課題を求めて積極的にうちこむ姿の中にあると思う。この姿勢こそ、研修のエネルギーとなるものであり、現実に教育現場に横たわる研修推進上の諸問題解決の鍵になるのではないだろうか。教師の「研修観の確立」が期待されるのである。

(福島県教育センター所長)

 

 

 


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