教育福島0079号(1983年(S58)02月)-040page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

 

この道に思う

佐藤芳信

 

「先生」と言われて、とまどったことが、はっきりと印象に残っています。

 

私が、学校事務職員になって、満十五年になりました。今更ながら、歳月の早さに驚かされます。十五年前を静かにふり返ると、当時、まとまった事務の知識がなにひとつなかった自分への不安と、新しい職場への期待がいっぱいのまま、最初に勤務したのは、小学校でした。校門を入るなり、可愛いい子供たちから、かん高い元気な声で「お早ようございます」「お早ようございます」と呼びかけられ、迎えられたことが、昨日のできごとのよらに懐かしく思いだされます。そして、校長先生から「先生」と言われて、とまどったことが、はっきりと印象に残っています。

当時、私の仕事といえば、なにからなにまでが初めての経験で、三十六名の先生に支給する給料計算にしても、二・三回計算しないと合わなかったり年末調整事務がなかなかできなくて、夜遅くまで仕事をしたことが思いだされます。今にしてみれば「ゆとりと充実」などと言って、笑ってすまされることが、当時は、仕事の内容を覚えることで、精一杯。仕事に追われっぱなしのスタートでした。

考えてみると、このよらな状態であったから、先生がたには大変迷惑をかけたと思っています。また、個々の仕事が、思うように進まないもどかしさからくる責任と不安が重なって「これでいいんだろうか」と悩んだものでした。どうしても孤独になりやすい時など、私を精神的に勇気づけてくれたのは、同じ職場の先輩や同僚でした。特に、校長先生からは、「初めから、なんでもわかる人なんかいないんだよ。一つ一つの経験から覚えていくものだよ。苦しんで覚えたものは自分のものになるんだ」と優しく笑ってご指導くださったことが、今でも私に勇気と希望を与えてくれています。当時の仕事は全て手計算で電算化されていなかったし、新採用職員の研修会等もなかったと思います。ただ同じ地区の事務研修で、実務研修だけであったと記憶しています。

さて、自分のこのよらな十五年間の経験をとおして、自分なりの考えを、述べてみたいと思います。最近の学校事務は、一部電算化されたが、その事務量は、年々増大するとともに、複雑多様化してきています。このような状況下で、私は、常に「学校事務とはなにか」あるいは「事務職員のあるべき姿」を毎日の勤務をとおして考えています。学校事務を考えるとき、特に、児童生徒や教師を切り離して考えることはできません。児童生徒が健康で明るい、そして充実した学校生活が送れるように、教師が安心して、児童生徒の教育に打ちこむことができるような教育条件整備を図ることが、大切なことであります。環境の乱れは、生徒指導にも大きく響いてきます。学校の隅々まで、ゆきとどいた教育的配慮が必要だと思います。そのためにも、専門的な研修に励み、自分を高める努力を怠ってはならないと思います。研修の真の効果は、事務職員の自主的、自発的な研修意欲から生まれてくるものと思います。

次に、人間関係も大切な一つであります。ほとんどが学校一名配置のために、仕事上でもマンネリ化し易く、多数の教師にはさまれて、どうしても自分の「殻」にとじこもりがちです。

しかし、どんなときでも自分が、職場内において孤立してはならないと思います。他の職員と協力しながら、積極的に事務を進めてゆべくきだと思います。教師から事務職員に対し、たえず多くの仕事上の要望がだされます。それは、備品の購入や設備整備の要求など、数多くの要求が出てきますが、常に、そのひとつひとつについてできるできないは別にして、誠実に対応していくことが大事です。

また、児童生徒の非行を、マスコミ等で報道されるたびに、同じ職場にいる者として、人ごととは言われない心の痛みを感じます。教壇に立っての直接指導はしまぜんが、教育条件の充実や、校内での望ましい人間関係を一層深め、教育目標達成のために、自分の職務を自覚し、誇りをもって学校事務の推進に、新たな意欲をもってあたってゆきたいと思います。

(浪江町立浪江中学校主事)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。