教育福島0079号(1983年(S58)02月)-042page

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随想

 

永遠のワンカット

猪狩幸一

 

機械おんちのお年寄や主婦、子供たちにでも、写真が撮れる時代になった。

 

今や、一億総カメラの時代である。「一家に一台」から「ひとり一台」の時代になったと言われている。EEカメラが普及し、機械おんちのお年寄や主婦、子供たちにでも、写真が撮れる時代になった。

御多分にもれず、私も写真を撮るのが好きである。学校で行事があるたびに、カメラで生徒を追いかけまわしている。たくさん写すようになったのは教職に就いてからである。

教職に就いたのは、昭和五十年四月だから、早いものでもう八年になる。偶然にも、私の写真撮りは山登りとともに始まった。山岳部の生徒のために高校時代の記録として、思い出になれば、と思って撮ったのが最初である。今では随分たくさん写真を撮るようになったが、生徒の高校時代の記録になればという気持に変わりはない。

記録といえば、つい最近、書店の店頭で「自分史のつくり方」という本を見かけた。なんとなく興味をそそられて、つい買ってしまったが、私の写真はこれだと思った。生徒の写真日記のワンカットになれば十分である。

誰でもそのうちアルバムを開く時がくると思う。そのとき、ものいわぬ一枚の写真がなにかを語りかけるにちがいない。また将来、自分の子供に黙って見せてもいいのではないだろうか。

いつもそんなことを考えながら、シャッターを押している。どういう拍子だったか忘れたが、ある時、クラスの一年間を撮ってみようと思い立った。チャンスはすぐにやってきた。

昭和五十六年四月、前担任が転勤になり、三年八組を引き継ぐことになった。教室へ行ってみると、見慣れない顔ばかり並んでいる。全く白紙の状態のまま、このクラスの一年間をカメラで追うことにした。

フィルムはプリント用の外に、初めてスライド用も使用した。プリント用はもちろん、生徒の高校時代の記録としてアルバムに飾ってもらうためにである。スライド用は、卒業式の日に、保護者の方に生徒たちの一年間の活躍ぶりを見てもらうためにである。

こうして、三月一日を楽しみにしながら、シャッターを切っていった。テーマは「小野高校三年八組」、主に校内行事における生徒の動きの表情をとらえていった。LHR、優勝した前期球技大会、夏休みのキャンプ・登山、牧場までの遠足、総合優勝した体育祭優勝できなかった後期球技大会など。

その外に、お世話になっている校舎も撮った。昇降口、廊下、水飲み場、時計、校章、石碑などなど。更に、教室内の机、椅子や壁に張ってある時間割、クラス目標、賞状なども写した。ファインダーを覗いているうちに、一年という月日はまたたく間に流れてしまった。

いよいよ明日は卒業式という前夜、スライドを整理していたら、バックに音楽もほしいと気がついた。さっそく「卒業写真」外数曲をテープに録音した。寝床に入って、これで準備万端、女子生徒はきっと泣くだろうな、とひとりほくそえんだ。妙に目が冴えて、なかなか寝つけなかった。おかげで愚妻には「いったい誰が卒業するの」とあきれかえられてしまった。

卒業式が終わって、卒業生と保護者がちょっと不思議そうな顔をしながら視聴覚室に集まってきた。私は次のようなことを述べた。 君たちに贈る言葉は何もありません。新しい出発を前にして、きょうは、君たちのおとうさんやおかあさんとともに、『八組の一年間』のスライドを見て、お別れをしたいと思います」と。

約二百枚のスライドは、音楽にのって次々とスクリーンに映し出された。一枚一枚があのすばらしい、二度とない、青春の一瞬をよみがえらせた。自然と大歓声が起こった。

誰も泣く者はいなかった。あとで聞いたら、親の前ではとても泣けないということだった。しかし、じーんと込み上げてくるものがあったと聞いて、私のひとつの試みは、満足のゆくものとなった。生徒のおかげである。

ともかくも、「ちょっといい写真」ではないかもしれないが、私が心に感じたものを込めたこの二百枚のスライドは、私にとって貴重な財産であり、タイムカプセルとして、十年後、二十年後の同級会まで大切にしまっておこうと思っている。……カシャ。

(福島県立小野高等学校教諭)

 

 

 


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