教育福島0080号(1983年(S58)04月)-005page

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巻頭冒

 

索引のない百科辞典

 

索引のない百科辞典

箭内 洪一郎

 

もう一昔も前のことで恐縮だが、昭和四十七年四月一日、県北教育事務所管理主事を命じられた。管理主事の仕事は、いままで経験したことと密着した、また、その延長部分にあたる仕事であろうと漠然とした考えで着任したのであったが、予想外の未知の分野に直面し、ただただ己れを失うのみであったことを思い出す。

その職務内容は、市町村の学校管理及び人事管理を骨とする、極めて小範囲であるのだが、これらをめぐる事務手続きが、かくも複雑、多岐にわたるものとは、考えてもいなかったのである。

毎日の電話による照会、質問の洪水にもまいった。自信のない、か細い声でおろおろと答えている己れが、全く哀れであった。今様の表現をとれば、この時の症状をカルチャー・ショックというのであろう。

先輩管理主事に安易にものをたずねることが、いかに愚かな行為であるかを身にしみて思い知られたのも、このころである。

甘い考えを捨て、自らの手によって調べ、覚えなければ進歩はないのだと言い聞かされた。己れの年輪を思うとき、なんとも情けない話である。

大体、新米管理主事が、ずらりと並んだロッカーの中から、一冊の関係帳簿をみつけ、一枚の先例書類を探しあてるということは、極めて難しい作業である。

その年の年度末人事事務が始まった。相当母の人事事務のほかに、相変わらず、細かな手抜きのできない管理事務が容赦なくまつわりつき、1緊張と煩雑さに顔面がひきつり、血ののほるのを覚えた。

場あたり的に資料を求め、そして整理し、その後やっと仕事にとりかかるのでは、いくら時間があっても足りるはずがないのである。

二年目の夏、三人の同僚と一月かけて、過去五年間の市町村教委や学校へ出した回答、行政事例を全て洗い出し項を立て分類整理し、一冊の管理事務ハンドブックとした。嬉しかった。また、急に自信が湧いてきて一人前の管理主事になったような気分に浸った。

考えてみれば、その当時の一年間は資料の貯えも整理もなく、その場あたりのやり方が、いたずらに仕事を忙しくさせ、顔面を紅潮させていたのである。行政事務執行上の創意工夫など、想像することすら、できなかったのである。

分類、整理のない、雑多な資料をいくら数多く抱えこんでいようとも、所詮、索引のない百科辞典と同様、全く価値の薄いものであるということを、この時ほど身にしみて思い知らされたことはなかった。

(やないこういちろう・義務教育課長)

 

 

 


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