教育福島0080号(1983年(S58)04月)-006page
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はるなつあきふゆ
情報量の増加
文化功労者
高橋信次
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宇宙が大爆発で生まれてから、地球に生物の原基が誕生するのに長い時間を要したが、蠕虫が出現し爬虫類からヒトが進化してゆく遂展は加速度的に進んだようである。はじめチョロチョロ、あとパッパのこの加速度のパターンは、どうもいろいろのところでみられる。
X線が発見されたのは、一八九五年(明治二十八年の暮れ)であった。それまで身体内部の病巣を視る術はなかったので、この発見は大変期待された。しかし、医療への応用は今のように旺んになるにはやはり時間を要した。胸部の診断に広く用いられるのには、発見後三十年もかかっている。私が子供の頃は、三郡共立病院(福島医大の前身)でも、大原病院でも使っているX線検査装置は原始的なものであった。それは機械整流でやかましく、高圧の裸線からは暗室なのでコロナ放電が妖しく光り、危険な代物であった。私が医師になった頃は、こんな状態であった。
放射線医の私は、故障を直すのに配電盤を開けて配線を追いながら修理したものだ。当時はそれができたような単純なものだった。したがって私の研究は、敗戦直後の青森で手製で組み立てた装置で始まったくらいである。
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