教育福島0080号(1983年(S58)04月)-007page

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提言

【筆者紹介】旧制安達中学校から第二高等学校に進み、昭和十三年東北帝国大学医学部を卒業。放射線医学の第一人者である。青森医専、弘前大学、名古屋大学の教授を歴任した後、昭和四十九年に浜松医科大学副学長に就任。昭和五十五年に愛知県がんセンター総長。国際放射線防護委員、世界保健機構専門委員、科学技術庁放射線審議会会長など国内外の要職にある。

殊に「X線による生体病理解剖」の研究では世界的評価を得、 「X線拡大撮影法」「多色撮影法」を開発。立体的な三次元の構成をもつ人体を、二次元構成のX線画像でとらえることを可能にし、X線検査の診断を死後の病理解剖に肉迫するまでに、その精密度を高め、小病巣の早期発見に大きく貢献した。これらの功績に対して、中日文化賞、日本医師会医学賞を受賞。米国放射線学会、西ドイツ放射線学会の名誉会員にも推挙され、昭和五十二年には、学術研究で我国最高水準の業績をあげた研究者に贈られる学士院賞・恩賜賞を受賞するなど受賞の数も枚挙にいとまがないほどである。昭和五十四年十一月文化功労者として栄えある顕彰を受けた。郷里では昭和五十三年二本松市政特別功労者、昨年、県外在住者知事表彰を受けた。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員。明治四十五年生。二本松市出身・医学博士。

それから二十年程経って購入したX線装置の配電盤は、既にギッシリと複雑に配線され、医師の手に負えないことを知らされた。やがて患者の診断は、螢光板の代わりに螢光倍増管が使われ始め、それに撮像管を直結したテレビモニターがついた。最近は、更にコンピューターが組み込まれて、在来は視認できなかった病巣を画像とすることができるようになっている。この二十年、特に十年の画像診断の進歩とその情報はおそるべき迅さである。

このように急速に増加する情報に、私どもの脳は追いついてゆけるであろうか。情報は、視覚、聴覚を通して外界よりの刺激を脳細胞に与えるが、その脳も外部の情報が急速に増加すれば、その応待にやがて限度が来よう。脳の皮質の新生増加は、十年、百年のオーダーではないからである。

各人の脳細胞の活動には限界があるので、文化情報の蓄積と利用のため私どもは、図書館を設けて解決してきた。最近のように図書館が増えてくると、更にこれにコンピューターその他を駆使し、そのため図書館情報大学が生まれて来る程である。このようなやり方で施設間の連携強化が解決されようとしている。一方、情報はもともと日本の知識だけに限られていない。国際間の情報交換が脳を介して、図書館を介して必要の度を増してきている。国際会議による意見交換あるいは理解が、最後のキメテになることも多くなった。

脳細胞のビット数の連絡活用、図書館のコンピューター化、意見流通の活発化等で増大する情報量をさばけるとすれば、やはりこれは新しい観点からの習練と教育を考えなければならない時代に入ったのかもしれない。

 

提言

 

 

 


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