教育福島0081号(1983年(S58)06月)-007page
流としてやってきたといって良いでしょう。
しかし、スポーツをする人が増えてきたといっても、まだまだごく一部の人たちでした。この時代の社会は、生産性の向上と物質的な豊かさを求める産業主義や仕事中心の生活原理が支配的な、いわゆる産業社会だったのです。
高度経済成長の時期を経て、わが国でも、いよいよ本格的な、スポーツの大衆化時代を迎えました。みんなのスポーツ、コミュニティスポーツなど、これまでのチャンピオンシップスポーツと区別する呼び方も出てきました。
いわゆる高齢化社会を迎えて、今後わが国は益々高度に発達した福祉国家を目指すことになるでしょう。生きがい論も含めて生涯教育・生涯スポーツの重要性がさけばれるゆえんです。
さて、このような社会の移り変わり(産業社会から脱工業化社会への転換)を反映して、体育はどのように転換して行けばよいのでしょうか。
「運動を手段とする教育」から「運動の教育」へ目を向けるべきです。運動は単に発育期だけの問題ではありません。生涯スポーツ、みんなのスポーツへつながるものにならなければなりません。運動そのものが、生活の内容になるのですから、運動そのものを身につける学習(教育)が必要になったということです。そのためには何よりも先ず、運動を好きにさせることが大切です。運動の楽しさ、喜びを皆に経験して貰わなければなりません。誰もがめいめいの力に応じて運動に親しむように、人と運動の拘わりを正しく理解させることなのです。技術主義は運動ぎらいを作るでしょう。体育を、技術教科としてではなく、生活教育としてとらえ直すことから始めましょう。
具体的な指導計画にまでふれる余裕はありませんでしたが、今後、実践の場からの稔り豊かな成果を期待してやみません。
提言