教育福島0081号(1983年(S58)06月)-022page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

 

新入園児を迎えて

 

高野秀子

 

高野秀子

 

四月、春の明るい日ざしをあびながら、新入園児たちが園門から入ってきます。今まで家庭の中で育てられてきた子どもたちが、初めて経験する集団生活の第一歩です。わが子の手をひいてくる母親、その手をぎゅっと握ってはなさない子どもたち、いったいどんな思いをめぐらして登園してくるのだろう。入園の喜びを胸いっぱいに受けとめ楽しみにしてくる子、これから始まる園生活へのおぼろげな不安を抱いてくる子、一人一人の子供の表情が、異なるように、これから始まる園生活への思いも異なっています。このような子どもたちを喜んで登園させるためにはどうしたらよいか、毎年この時期になると考えさせられます。

十数年前、短大を出て、幼稚園教諭として初めて子供たちの前に立った頃のことが昨日のことのように思い出されます。お母さんから離れられなくてワーワー泣く子、遊具のとり合いで泣き出したり、又それにつられて他の子も泣きだしたり、どうしてよいかわからずオドオドしてしまった毎日!「どうしたの」「泣かないでいるとお母さんが迎えにきてくれるよ」などといってもなきやむものではない。他の子へ目をくばる余裕もない。毎日が戦争のようで私までが泣きたい気持でいっぱいでした。家にかえってからも、どうしたら子供たちの、不安をとりのぞいてやれるのかと悩みました。早く経験豊かな先生になりたいとどんなに思ったことでしょう。母親たちから信頼されるようになりたいとパーマをかけ少しでも落ちついた様に見せかけようとしました。今、考えてみると自分がいじらしくさえ思われてなりません。いつのまにか幼児教育にたずさわり十数年経験した今、前に想像していたような教師になれたのかと言われると心がいたむ思いです。

「先生おはよう」「ぼく今日はお姉ちゃんときたよ」昨日、登園途中で家にもどり、九時頃母親と一緒にきても「お家へかえるんだ」とおおあばれしていたH君。今日は休まれるのではないかと心配していた子である、ホッと安心!Y子がけがをした、キズバンをはってあげると「先生は看護婦さんもするの?」「先生は何でもできるんだね」とニコニコ顔で話してくれる。こんな子どもたちのいきいきした姿を毎日見ることができる今日、幼稚園教諭になってよかったとしみじみ感じるようになりました。

或る朝、車で出勤途中前方より自転車できた中学生がぴょこんと頭をさげていりた。私も車の中から礼をしたが今の中学生は誰だったろう? このような行為はあまりみられないことである。「アッ十年前に勤務していた幼稚園の卒園児K君であった」。次の日、同時刻に通ってみると、自転車がやってきた。今度は私の方から車の窓をあけ、「おはようK君だったわね」と声をかけた。「うん、先生ぼくのこと覚えていてくれたの?」とテレながらあいさつをしてくれた。「今、中学生だよ」と得意顔でいう。大人びた体格、でも、まだどことなく子どもっぽいしぐさが見られる。車を走らせてからも何やら晴ればれとした気持になり、しだいに目がしらが熱くなるのを感じました。

園生活にも少しずつ慣れた子どもたちが、はしゃぎながら砂あそびをしている姿をみて、この子たちもあの中学生のように素直で明るい子に育ってくれるようにと心から願わずにはいられません。新入園児を迎え、また新しいスタートが始まりました。これからも幼児教育の大切さを家庭に呼びかけ園と家庭とが協力し合って精いっぱい仕事に励んでゆきたいと思っています。

(鹿島町立鹿島幼稚園教諭)

 

おててつないで

おててつないで

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。