教育福島0082号(1983年(S58)07月)-026page

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随想

 

農園活動を通して

野崎 潤

 

村にあり、田村郡小野町に隣接し、山間の小規模校、桶売小学校であった。

 

今年の三月まで私が勤めていた学校は、いわき市平の北方約四十キロ、阿武隈山地の内ふところに抱かれた双葉郡川内村にあり、田村郡小野町に隣接し、山間の小規模校、桶売小学校であった。

二十代の若い先生が多く、四年前の新学習指導要領の実施にともない、その趣旨をいち早く受けとめ「豊かな人間性の育成」「ゆとりある充実した学校生活」を合い言葉に、学校裁量の時間を「おけうりっ子の時間」と名づけて、精力的な活動を展開していった。

赴任して二年目に「地域の特色を生かした活動を」という考えから、学区内の農家から約三・五アールの農地を借り受け、「学校農園」として、学年ごとに、サツマイモ、トウモロコシ、枝豆などの栽培を始めた。栽培活動を通して、児童に自然事象への関心を高め、収穫を期待しながら愛情をもって作物を育て、生産の喜びや働くことの意義を体得させようとすることがねらいであった。

しかし、児童たちは、ほとんどが農家の子でありながら、実際にクワを使ったことがなく、うねの作り方や作物の栽培方法も知らなかった。農園作物は思い通りには進まなかった。先生方もクワを手にした経験が少なく、くの字に曲ったうねを眺めて、みんなで大笑いをする有様であった。

市の農業蓄産課や農業改良普及所、地元の農協職員の方々の再三にわたる、手を取り足を取ってのご指導で、うねを作り、マルチをかけて、どうにかこうにか作物の植え付けをした。

その年の秋、お世話になった方々をお招きして、ささやかながらも収穫祭を行うことができた。その時に試食したサツマイモと枝豆の甘い味は、今でも忘れることができない。

農園作業も二年目を迎えると、クワの使い方やマルチのかけ方もだいぶ本物らしく見えるようになってきた。手先だけでクワを使っていた児童たちが、全身を使いリズムに乗って使うことを覚え出した。敬遠しがちであまりやりたがらなかった水かけの作業も、さほど苦にせず、水おけをかついで農園まで行く姿が見られるようになった。

家庭訪問の折り頂いてきたキュウリの種を、児童たちと話し合って栽培してみることにした。キュウリの栽培は初めてのことだったが、児童たちは既習経験を生かして取り組み、休憩時や放課後になると、農園に出かけては自発的に草むしりをした。暑い日が何日も続くと、せっせと水おけをかつぐ姿が見られた。夏休み中も交代で農園に出かけては、追肥や害虫の駆除、草むしりに汗を流した。黄色い花をつけた時は、まるで大発見でもしたかのように職員室に知らせに来てくれた。その時の児童たちの目の輝きは、教室ではあまり見せたことのないくらいキラキラしたものだった。

二学期が始まったころ、わずかな量であったが収穫することができた。それは不格好でやせたキュウリだったが、児童たちにとってはまさに抜群のできだったに違いない。

私はこの農園作業を通して、さまざまなことを体験し、いろいろと教えられた。第一に、児童たちが直接体験することによって、「働く喜び」とか「最後までやりぬく意志」とか「実践力」が知らず知らず身についてきた。理屈ではなく、自ら為すことによって学ぶことができるということであり、第二に、作物という生命を、はぐくみ育てる体験を通して、やがて「人間社会の愛情」とか「生命を尊重する心」の芽が育てられていくのではないかと思うことである。

 

◆    ◆

 

今、四年間の山間辺地校勤務を終え、都市郡のマンモス校に転任し、勤労体験学習の重要さをひとしお痛感している。都市部では家事労働の省力化がすすみ、知識偏重の傾向が強く、直接体験する機会が少なくなってきている。また、根気強く取りくむことに欠け、作りあげた喜びを味わうことがうすれてきている。

知識の習得に傾斜しがちな教育の中で、体験的学習の工夫をして、調和のとれた児童の育成を目ざして取り組んでいきたいものと思っている。

(いわき市立高坂小学校教諭)

 

 

 


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