教育福島0082号(1983年(S58)07月)-029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

 

朝の風景から

佐藤隆夫

 

私もその一人となって左へ流れると、ちち、ちちと群れ鳴く声を耳にする。

 

早朝出勤が楽しい良い季節である。花咲き山を眺め、昇る朝日に照り映える青葉に我が身を染めるごと、乗って来た電車から降り立つと、そこは街。人間の群れる所。広大な駅舎から投網を広がしたように人々は動線を描いて四囲に散って行く。私もその一人となって左へ流れると、ちち、ちちと群れ鳴く声を耳にする。

見上げれば、あるは、あるは。新幹線の大鉄路の下の、桁の下側の雨風をよける隅々に、数えれば十二ものつばめの巣があって、えさを求めて鳴く子らに親つばめが懸命に運んで来る。東天が白む頃から動き出したか。この街のどこにえさが見つかるのか。しばらく歩を止めて更に見上げれば、高いデパートの屋上を越えて飛んで行く。あの小さな目では高く飛んでは見えないだろうに。と案ずる間に、さあ一つと舞い戻って鳴き乱れる中の一羽の子つばめに与えてはまた飛び、一心不乱の親つばめ。「早起き鳥は虫を捕える」と英語の諺にあるが、それを地で行くか。それにしても、「あおば」が上り「やまびこ」が下る鉄路の下の、出入り激しい貨物扱い口になんで巣を掛けるのか、人気のない所が安全であろうに。人間に勤勉を教えようとてか。なんとも人恋しのつばめよ。つばめでさえも…。そう言えば、去る日この駅のコインロッカーに赤ん坊を詰め殺しにして、いずこへともなく消えた現代の鬼が居たという。つばめにも劣る所業に怒りをつのらせてもやる瀬なし。思いをにわかに深くしながら先へ進む。

K信用金庫の前まで来ると、九時開店にはまだ間があるのか。若い行員が二人してバイクを引き出して整然と並べ、ほうきを持ち、水を打つ。学校までの道々、どの銀行も眠っているように動かないのに、ここだけは違うすがすがしい雰囲気の一角。経営精神が伝わる。頷きながら足を運ぶ。

市中から出る最も古い道の一つを更に進むと、この街の人が「川」と呼んでいる国道にさしかかる。その手前の左右に相対して給油所がある。右手に日の丸を掲げたその下で、明るい号令とピアノの音が響いて、1)給油所の三十人足らずの男女が、ラジオ体操をしている。スカートの広がりを気にしたり、腹が突き出たりして、技は見事ではなくても、職場の仲間としてうちそろって体をほぐす仕草がほほえましい。ここは午前七時開店で出勤が七時半とのこと。早起き、早出勤の、気心をそろえた団結心がにじみ出る朝の風景である。一方、左側のS給油所は早出の当番が早く開けているのだが、この時刻に人影が動かない。

やっとの思いで、おびただしい数の車が流れる「川」を渡ると、左手の角にF文具店が開いている。周囲の店が閉まっていて惰眠を貧ぼっているやに見える中で、ここだけ他のどこよりも数時間早く一日が始まっているのだ。不思議な思いで、しかしやれ良かったとの思いで、買い物に立ち寄れば、七時には鎧戸を開けるとか、顧客の需要に応じているのだという。南から北へ、市内を国道を貫いて通勤する学校の「先生方が、その日の教材をまとめ買いしていって下さったりするので、九時、十時開店なんて言っておられんのです。それに鍵っ子になるお子さんをすぐそこの小学校にやるのに、ここで降ろすと都合いいんで、うちの前で車から降ろして行かれる親さんが何人もいてねえ。ことに冬は寒いし、学校は開かないしで、チャイムの前まで、うちの中へその子たちを入れて、遊ばせてやるんですよ。わいわい、がやがや、商品を批評したり今度買ってもらう物を決めたりしていくんです」と茶を勧めながら主人が語る。なるほど、地域の人になっている。商道というものだろう。日本の諺では「早起きは三文の得」と言うけれど、早起きが一徳で、こうして店内で保護してあげた児童の中に、大きくなって「おじさん、あの頃はお世話になりまして…」ときちんと礼を述べる人も現れて、目頭が熱くなる時があるという。この方はもう長いことそうしておられるのだ。商店だから当然だとか、金をもうけるとかいう感覚とは一味違う、心和ます何かがある。禅でいう利行であろうか。

朝の風景から様々教えられながら学校に着くと、紫の大校旗が薫風にはためいていて、私の一日が始まる。

(福島県立安積高等学校教諭)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。