教育福島0083号(1983年(S58)08月)-007page

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提言

 

期待と不安、残された時間のやりくり配分、この緊張感は日に日に高まってゆき、初日に至りピークに達します。今更ジタバタしてもはじまらないと承知し乍ら、ああすればよかった、こうもできたと考えてしまう惑乱状態。にこやかにお客様に接する案内嬢の微笑の陰にも深い緊張感が宿っています。そして開幕を告げるベル。新しい作品の誕生を待つ一瞬の静寂が劇場全体を包みます。この瞬間、我々は無意識のうちに神に祈り、自分達が運命共同体であることを強く認識するのです。

「無事に終わってくれ、そして願わくは成功を!」この時、出番を待つ俳優は、強い連体感の中にあり乍ら、同時にこの上なく孤独です。なぜなら、殆どのスタッフの仕事は既に終了しているのに、俳優の仕事はこれからなのですから。これから俳優はお芝居の時間を生きて、お芝居に生命を与えなければならないのです。その重圧。例外なく全ての俳優が逃げ出したいという衝動にかられます。そして出番が来て−この時、俳優が「自分がなんとかしよう、芝居を支えてやろう」と思えば、必ず失敗します。つまり稽古場でバランスをとり乍ら組み立ててきたカードの一枚一枚が突然一人で立ってやろうとするのですから、お芝居はバラバラになるのです。目的は自分の成功ではなく、作品の成功です。ひたすら彼の目で見、彼の耳で聞くことによってのみ作品に奉仕できるのです。俳優というものが、或いは人間というものが本来持っている強い自意識を捨てて全体のために共に戦ったとき、単なる足し算でない、高い到達点を極めることができるのです。幕が降り、客席から心の籠った拍手が聞こえるとき、私達もまた、幕の内で私達を成功に導いた作品のために、そして自分の全てを作品に捧げ尽くした仲間達のために互いに、拍手を送り合っています。この喜びゆえに私は舞台を離れることができません。そして、異質の才能が協調し乍ら、個々では決して作れないものを作り上げてゆく素晴しい経験を大勢の人にしてほしいと思います。生涯に一度でもいい、みなさんも、学校で、職場で、お芝居作りをしてみませんか?

 

「カッコーの巣をこえて」でチーフ・プロムデンを演じる筆者(右)

「カッコーの巣をこえて」でチーフ・プロムデンを演じる筆者(右)

 

 

 


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