教育福島0083号(1983年(S58)08月)-026page

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備交流活動を展開する。一年生「まつりの竜」二年「祭りうちわ」三年「豊作山車」四年「みこし」五年「豊年かかし」六年「獅子頭」と互いに協力して汗だくで制作。参会の先生がたが、聴覚障害児が一緒に学習していることがわからないほどうちとけた交流ぶりであった。

十月二十七日は秋晴れの暖かい一日だった。校庭いっぱいひろがって秋まつりをした。養護学級の友達も小名浜から訪れ、幼稚園児、保護者の皆さんも参観。子供たちは大はりきりで、太鼓や、音曲にのって練り歩くハッピ姿の勇ましいハチマキがゆれる。TVカメラも祭りを追って収録をつづけていた。

 

十一 一年生が豆まき大会

「福は内・鬼は外」

 

二月三日の草野小体育館は大さわぎです。峠ならぬジャージ姿の先生に、「ワーイ先生! こっちにまいて−」と、一年生の豆まき大会です。紙の鬼面と、豆箱は、図工の時間に作った傑作ぞろい。いたずら鬼やなまけ鬼、いじわる鬼やわがまま鬼のゼンメツ作戦です。とても楽しい一時間でした。

 

十二 深めた友情をいつまでも

「六年生がお別れハイキング」

 

卒業する友達は、四月から遠い郡山の本校に行ってしまい再会の機会はいつの日か。二年間の交流で深め育てた友情をこのままで別れてしまうのはしのびがたいと、六年三組の学級会は聾学校の三名の友達とのお別れハイキングを計画した。

三月九日、絶好の天気。この日までにと放課後おそくまでかかって完成した卒業文集をプレゼント。

そろって近くの母衣山に登山。丘の斜面で「そり遊び」をしたり、山野の植物を図鑑片手に額を合わせて探索。ゲームに興じたり、お話を発表したりしばしの別れを惜しんだ。

見おろす遠くの太平洋の水平線近く、白い船体を見せて客船二つ、すれちがって南と北へ別れていった。

おわりに

理解はふれあいからという発想からスタートした草野小と聾学校平分校との交流活動は、心のふれあい、共に学ぶ、共に育つ子供たちの姿を見ると、危倶した聴覚障害児という差別、偏見同情の意識は◆憂にすぎなかったことを実証してくれた。そして、交流活動は、障害をもつ児童にも大きなメリットがあり、それよりも健常児にこそ人間として成長していく過程の中で必要不可欠な生活体験であることを痛感している。

子供たちの障害者観は、大きく変容し、「みんな友達なんだ…」の共存共栄の意識を育てさせ、教師の指導観もひとりひとりを大切にはぐくむ教育愛に変容、地域ぐるみの活動に発展しようとしている。

本番はこれからである。大きな目標実現に向け、一歩一歩前進していく考えである。

 

×   ×   ×   ×

 

最後に聾学校から寄せられた感想を紹介して報告とする。

 

◇聾学校からの感想

「交流学習があると聞いた時、健聴児とのふれ合いが、うまくいくかなあと、内心親としてとても心配でした」と、どの親も同様の感想をもらしている。

交流は障害児をもつ親にとっては、「障害者宣言」であり、期待と不安の入りまじった複雑な心境であったにちがいない。

交流が進むにつれて「お友達の名前も覚え、嬉しそうに話してくれる」

「健聴児が笑顔で障害児の所に寄ってきて積極的に挨拶している」と語る親がふえて、きた。

わが子の活動ぶりを見て「聾学校の生徒ではなく以前から草野小の生徒ではないかと思うくらいでした」「草野小のお友達がお世話したり、楽しくお話をしている姿を見た時、仲よくできてよかったと、涙が出て仕方ありませんでした」「たくさんの人の前で、あれほどまでに生き生きと発表できたことは、将来社会人として健聴者にまじって生活していく上での大きな体験をしたと思います」と、率直な意見を寄せており、当初の不安は解消されている。

それに、「明るくなった」「自信がもてた会話がふえた」「負けまいとする気持ちと根性が湧いてきた」と子供1の変容を確認している。又、草野小の児童や先生方、父兄のかたがたに障害者であっても一人の人間として世の中に貢献していけることを認めてもらうことができたのではないかと、交流教育の成果を強く受けとめ、社会全体に認めていただける日が一日でも早く来ますようにがんばっていきたいと思うと強く希望している。

 

みこしの出を待つ5年生達

みこしの出を待つ5年生達

 

 

 


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