教育福島0083号(1983年(S58)08月)-027page

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随想

 

ふれあいを大切に

古川文子

 

私は幸せだ、と心から思う。今日もそんな気持ちで一日の始まりを迎える。

 

「せんせい」と声をはずませてくる子供たちの澄んだ瞳に、先生になって良かった、すばらしい子供たちの心をいつも肌で感じられる仕事をもてた私は幸せだ、と心から思う。今日もそんな気持ちで一日の始まりを迎える。

短大の保育科の道を選んだのは自分の希望でなく、東京の大学へ進学したかったものの、家の事情で諦めざるを得ず、資格をもっていると職業の選択が楽という理由からであった。したがって幼稚園の先生になろうとは、夢にも考えませんでした。

それが大学へ通うため下宿していた先の叔母が、保育所に勤める保母で、子供に接する仕事の厳しさを、まのあたりにみ、また、書棚から専門書をつまみ読みしているうちに、子供の心理のすばらしさ、仕事の重要さが朧げながらみえて、これはやりがいのある仕事ではないかと思うようになってきた。

 

そして、二年後、学生気分もぬけきらぬうちに幼稚園教育に携わることになった。教師とは、幼児が親離れして初めての生活空間に入る幼稚園で、家庭でのお母さんの役となり、また、幼児の人間形成の基本を創りあげるための手助けする大切な仕事と、理論では理解できていても初めて子供たちの前に立ったときには、緊張と不安で足が疎んでしまい、無事一年間やり通すことができるかどうか、迷うことの連続であった。

それでも、若さというだけの意気込みで、無我夢中で過ごし、日々の忙しさのなかで、「あれ、こんな保育でいいのかな」という思いが、心をよぎるか、子供を見つめることより、毎日の活動内容を消化することに、精一杯であった。「せんせい」と寄ってくる子供たちに「今、忙しいからあとでね」「もう少しまってて」の言葉で返すことが多く、先生と遊びたい、おはなししたいと願う気持ちを、忙しさの中で無意識にうち砕いたり、「どうしてこんなことができないのだろう」と、子供たちの気持ちになって考える余裕もなく、自分だけで焦り、苛立ち、どうしょうもない虚無感におちいるというくり返しの毎日でもあった。

 

しかし、一児の母親となり、子供の日々変化する心や身体を身近かに感じたとき、理論では学べなかったものが次から次へとみえはじめてきた。それからは私にとって大発見であり、驚きでもあった。百八十度の転換といっていいほどの心の変容であった。今まで理論と若さで実践してきたことが、本当は子供たちにとっては、未熟さの押しつけではなかったかという考えにたち、もう一度保育の原点、子供の心の基本にたって、保育を考え直す必要があるのではないかと反省し、今、一人一人の子供は、何を要求しているのか幼稚園を真から楽しい生活の場としているのかなと考えられるようにもなってきた。

この仕事は、百パーセント子供たちに影響を与えることを認識し、子供と一緒に遊ぶこと、子供の体に触れてあげることを大切にし、視線も思考も感情も子供の立場にたってしぜんにふるまえたなら、きっとそこから新しい保育の一歩が始まるのだと自分自身に言い聞かせている毎日である。

 

職業は、たくさんあるけれど、この仕事を選んで良かったと思う。その職業に携わる人が自分の仕事は世界で一番素晴らしいと思えたなら、幸せなのではないでしょうか。今、そんな幸せをかみしめて生きていることの実感を二十八人の子供たちと一緒に遊ぶなかから受けとめることができ、五感が激しくゆり動かされる。

「さあ−、子供たちを全身でうけとめなさい」と…。

(岩瀬村立白江幼稚園教諭)

 

 

 


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