教育福島0083号(1983年(S58)08月)-028page
随想
早起き野球と若者たち
星 恒行
今、県内各地で「早起き野球大会」が行われている。これは、ある新聞社催しで県大会まであるので、草野球を楽しんでいるものにとっても大いに力が入るときである。
部落内の教え子たちが中心となってつくっているわがチームも、会津大会出場権獲得を目ざして地区大会に臨んだ。三回戦までは順調に勝ち進んだが準決勝で力つきてしまったが、久し振りに大会に参加した私は、教え子や多くの若者の生き生きした姿に接し、大きな喜び味わうとともに、新たな夢を持つことができた。
初戦、午前五時半試合開始との連絡であったので、二十分前にグラウンドに着けば十分間に合うだろうと思って行った。すると、わがチームの若者たちもすでに一時間も前に集合し、試合前の練習を終了したところであった。そして口々に「おはようございます」と元気のいいあいさつをかけてくれるばつの悪さをカバーしようと、「みんなよく早く起きられるな」と、問うともなく言うと、「今朝にそなえて、昨夜は早く寝たから…」気持ちのよい済いさつと、心がけの良さに感心させられた。
いよいよ試合開始。すばらしいプレーもあるが、珍プレーも多い。中学校や高校で野球をやったことがあるものも二、三人いるが、大多数はチームに入ってからやり始めたものが多い。職業も、電気技師、大工、ダンプの運転手、理容師、国鉄駅員、自動車教習所の指導員等、実にさまざま。それだけに、迷プレーもあって判定も難しい。正式審判員が足りないので、試合のないチームから輪番で出る"にわか審判員"。あやしい判定をするが、両チームともその判定に快く従ってプレーを続けていく。会津大会や県大会につながる試合なので、ピリピリした感じのゲームを予想していた私は、期待がはずれたが、若者たちの大らかさ、和・ルールに従った行動に、朝のすがすがしさ以上の壮快さを感じた。
午前七時、ほとんど時報と同時に試合を打ち切り、ゲームセット。そして両軍選手全員が、トンボを持って校庭の整地に取りかかる。約十分後、両翼の白線を除くと、試合をやった形跡は全くなくなっていた。バス通学のため早く登校する児童たちが校門の辺りに見え始めるころ、両軍選手は全員帰路につく。
このきまりよさ、後始末のよさは、私が出場した四日間とも・同じ状況であったので、他の日もきちんと続けられたと思う。
それからもうひとつ。二回戦、今度は若者とともに、午前四時半に校庭に行ってみると、真白なラインがきっちりと引かれていた。両翼約百メートルバッターボックスからファールラインまで必要なラインが、実にきちんと引かれている。二人がかりでも、三十分以上はかかる。朝は引いているところを見かけないので、前日の夕方おそくであろうか。それにしても、それぞれ勤めを持っている。その勤めを終えてから、明日の試合がどうなるかわからなくとも、確実に準備しておく。仲間のために奉仕し、着実に責任を果たしている若者たちに、頭が下がった。
「最近の若者は、…」と、どうかすると、無軌道、無責任、無秩序がなげかれているが、「早起き野球」に集ってきた若者たちを見るかぎり、そんな心配はなかった。
彼等が成長する過程のある時期、直接担任したり、数年前まで町の社会体育指導委員、体育協会役員としてかかわってきたひとりとして、とてもうれしかった。
小学校の教師は、子どもたちが卒業していくと、後はジッと見まもっていくしかないことが多い。が、幸い私は地元に住んでいるので、これからも教え子や若者たちの中にとび込み、ともに地域の発展のためにがんばっていこうと思うし、それが地元に住んでいるものの務めであると考えている。
今年は、練習不足で、若者たちの足を引っぱったこともあったので、来年は若者たちとともに練習し、会津大会出場を是非実現したいものである。
(田島町立荒海小学校教諭)