教育福島0083号(1983年(S58)08月)-040page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

松平定信の蔵書印

福島県立図書館副主任司書

菅野俊之

図書館コーナー

図書館コーナー

 

文武両道、勤倹努力を掲げて寛政の改革を敢行し、風紀刷新のため戯作文学を弾圧した松平定信自身が、実は密かに戯作小説を執筆していたという事実を明らかにし、今までまじめ一方の理想家とされていた定信の複雑な人間性に初めて光をあてた英文論文が、ハーバード大学に留学中の岩崎はる子氏によって発表され話題となっている。

また最近、二本松市立図書館長山本敏夫氏は労作『松平定信−その人と生涯』を公刊され、今秋には白河市歴史民俗資料館で襲封二百年祭を記念した松平定信公展が企画されるなど、名君白河楽翁こと定信に対する新たな視点からの研究の気運が高まりつつあるといえよう。

彼は愛書家としても知られ、『読書功課録』には年間四百六十余冊を読破したと記されている。その蔵書は楽亭文庫、または白河文庫と称され文政五年には蔵書二万五千巻を超えて、質量共に江戸時代屈指のコレクションであったが、残念ながら現在は各地に散逸してしまっている。これは長沢規矩也の説によれば、明治初年に旧藩家老がこの文庫を船で桑名から東京へ運ぶ途中難破してしまったと詐称し、勝手に売却したためであるという。大正「五年に徳富蘇峰の肝いりで、再び白河に楽翁図書館を造ろうという計画があったが、実現に至らなかった。

その蔵書は和漢の多岐な分野にわたり、装訂は典雅で写本も秀れた書風のものが多い。この小稿では先学の調査に依頼しつつ、定信の蔵書に捺された蔵書印を集めて紹介してみることとしたい。

 

楽亭文庫

 

縦六糎、横一・七糎。重郭、朱長方印。定信自筆の蔵書印である。文化九年致仕後、彼は楽隠居といった意味で楽翁と自称し、別荘を共楽亭と呼んだが、楽亭文庫の名も同じ由来によるものであろう。この印影について小野則秋は「簡単で却って雅味を失わない」と評している。(『日本の蔵書印』)

 

白河文庫

 

縦六・四糎、横二・三糎。重郭、朱長方印。片山恒斎編『白河文庫全書分験目録』の凡例では、蔵書印について次のように述べている。

楽亭白河松岡竹岡諸所蔵書、初簽以立教館図書印、後以各所文庫印分簽之、此録所収則止白河文庫所蔵、其各所文庫印共簸者皆係遷移也

松岡、竹岡については不明であるが初めは総ての蔵書に藩校立教館の印を捺したが、後に、楽亭文庫、白河文庫などの印を捺して区別したと解される。また、楽亭文庫は定信用、白河文庫は藩用の図書に捺したものではないかという推察もある。(『国立国会図書館月報』昭和五十年二月)

 

立教館

図書印

 

縦三・六糎、横二・一糎。単郭、朱長方印。寛政三年に設置された白河藩校立教館の蔵書印である。文政六年、松平家が三重県の桑名に転封になった時、藩校と共に蔵書も彼地へ移され、次に紹介する桑名文庫の蔵書印が捺されるようになった。(『図書館研究』昭和十七年七月)

 

桑名文庫

 

縦六・四糎、横二・三糎。重郭、朱長方印。前述のように桑名封移藩後の蔵書に捺されている。

 

直径三糎。単郭、朱丸印。定信の自筆と推定されている。

 

直径三糎。単郭、朱丸印。定信の自筆と推定されている。

 

直径三・五糎。単郭、朱丸印。

 

直径三・五糎。単郭、朱丸印。

以上六種類の蔵書印が定信関係の蔵書に使用されているが、それぞれ単独に押印されているのではなく、幾つかの印が同一書に併用して捺されている。

また、楽亭文庫、桑名の印は、定信の没後もしばらくは使用していたらしい。(『内閣文庫蔵書印譜』)

これらの蔵書印の使い分け等については、小野則秋『日本蔵書印考』や前記の『国立国会図書館月報』昭和五十年二月号などで考証されているが、まだ明確とはいいがたく、今後の研究課題として新たな考究が期待されているのである。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。