教育福島0084号(1983年(S58)09月)-019page

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随想

 

「鉛筆の持ち方」考

 

高橋 弘寿

 

高橋 弘寿

 

最近の児童の姿を見ていて、気になることの一つに、鉛筆の持ちかたがある。

鉛筆の持ちかたは、人指し指と中指とで鉛筆を軽くおさえ、それに親指を添え、さらに、人指し指のつけ根付近での支えをともなったかたちである。

このことが身についていないだけでその児童は、毎日の学校生活の中で、児童自身は気づかないが、かなりのハンディを背負わされている。

まず、その児童は、指先と手首のやわらかさに欠けるため、どうしても書写速度は遅く、指の疲労が早まる傾向が見られる。もちろん、きちんとした文字を書くことは、なかなかむずかしいことであろう。

また、文字を書くとき、視線は筆先に行く。ところが、持ちかたの悪い児童、多くは、正常な視線では筆先が見づらいため、頭と背中を横に曲げて文字を書く。書写姿勢の悪さの原因の一つがこのようなところにもあると思われる。

鉛筆の持ちかたは、一見ささいなことのように見えるが、これは、学習における基本的な行動様式を支えるために欠かすことのできない技能的な要素であろう。

 

これに類したことには、「箸づかい結ぶ、しばる、折る、たたむ、切る、けずる」など数多くあるが、いずれもここ二十年くらいの間に、おとなから見て「へたになった」と言われていることである。

これは、生活の様変わりから、今まで使われてきたものが、次第に使われなくなったという一面もあるが、中には、正しく伝承されていないというものも数多くあり、鉛筆の持ちかたなどは、明らかに後の例ではなかろうか。

また、一つの基本的な行動様式と、生活の中の技能的なこととの関係を考えてみると、いくつかの技能的なことが組み合わされて使われたとき、一つの基本的な行動様式となり、また、それらが組み合わせられたとき「作法」となると思う。

 

今、基本的行動様式や作法がくずれ始めているのは、それらを支えているいくつかの技能的なものが、じゅうぶんに伝承されていないためであろう。

それは、従来の基本的な行動様式や作法が、現代には合わないもの、やっかいなものとする考えが存在することや、結果だけを評価し、結果を導きだす手順や過程、努力を問題にしない短絡的ないきかたなどが原因していると思われる。鉛筆の持ちかたなどは、字が書けさえずればよいとして、字を書くために必要な技能的なものへ目を向けようとしないことの結果であろう。正しい鉛筆の持ちかたが、合理性としなやかさを持ち、また、美しい姿勢にまで結びつくことを、おとなは知らねばならないと思う。

 

鉛筆の持ち方ひとつをとっても、そこに忘れてはならないきまりがあるように基本的な行動様式と言われるものを支える技能的な面に、わたしたちはもっと目を向けることが必要ではないだろうか。

 

学校生活の中で、基本的な行動様式の見なおしとか、それらを身につけさせようとするとき、それを支える技能的な要素をきちんとおさえ、しかも、それを、徹底させることが大切であろう。

鉛筆の持ちかた以外に、箸つかいのように昔からずっと伝承されている技能も数多い。それらの中で、何を残していくことが必要かの検討も大切であろう。

社会一般が、児童たちに伝承ぜねばならぬことさえ、見失い始めている現在、わたしたちの課題はつきないのである。

(二本松市立岳下小学校教諭)

 

 

 


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