教育福島0085号(1983年(S58)10月)-007page

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提言

 

古寺」(55年)、「奈良の家」(56年)、「斑鳩の里」(57年)、「慈光」(58年)が挙げられる。法隆寺金堂壁画関係では再現模写に四十二年四号壁画岩橋英達班に参加以来、小壁の再現模写も担当。飛鳥財団依頼の高松塚古墳壁画現状模写監督(49年)、東壁「女子群像」模写(50年)など活動の範囲も広い。四十八年には、東京芸術大学初期ルネッサンス壁画調査団の一員としてアッシーシ、サンフランシスコ寺院内ジョット作「吾にさわるな」模写。この年、文化庁依頼の高松塚古墳壁画西壁「白虎」模写。

故郷福島県でも総合美術展の審査員や各種展覧会の選考委員をひき受けるなど、後進の指導にも当たっている。個展も白河、郡山、福島で開催。県の収蔵美術品にも、「夕照」「穹」がある。昭和五十三年紺綬褒賞受賞。昭和五年白河市の生。

 

知り合い、又は、自分の高校の先生が、日本画を描いている、という、限られた環境にあった学生のみが日本画を志望する、ということである。芸大でも、油画科と日本画科の学生数を比校すると三対一になっている。全国の美術系の大学また然り、その卒業生が教職につく場合日本画の勉強をしている人より、油画を勉強している人の方が圧倒的に多くなるのは必定である。

私は、芸大の日本画科を出て教職につく学生には、絵を教える場合、日本画だけでなく、油画の方も自分で勉強して指導するように言っている。これは、“子供達は白紙であって、美術教育のいろいろな分野を知らされなくてはならない、成長してから選ぶのは子供達自身だから”という考え方に基づくものである。

たしかに日本画というものは、道具立がいろいろあって、集団で教育するには不適当な要素があり、洋画のように便利ではない。然し、全然指導しなくて良いということにはならないと思う。少なくとも美術教育の専門家である以上、我関せずで良い筈はない。ここで一つ私なりに考えることだが、もしどうしても自分では扱えないということであれば、年間何時間かでも、交換教授というのは如何なものだろうか。

県内の先生方の中には、夫々特にその道に堪能な方が居られると思うので、例え僅かの期間でも、お互いに得意な分野で生き生きと力を発揮されるならば、子供達にとっても、美術の授業がより魅力的なものになるに違いないと思う。

また、自ら描く指導が出来ない場合でも、スライド、その他によっても少しは補足出来るので、要は指導者の心構え次第と思われる。

日本に生まれた子供達の大半が、洋画一辺倒でなく広く機会を与えられることを希望したい。

以上二点、少々きつい注文を書いたが、これも、子供達の幸せを考えての発言としてお許し戴き、御一考願えれば幸いである。

 

「雪中群鹿」第六十七回院展出品作

 

 

 

 


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