教育福島0085号(1983年(S58)10月)-017page
有効であった。このような、「思考の場」としてのグループ学習に、作業的な「音読の場」を加味していくことが必要である。討議し、自らの考えを確実にしていく、というグループ学習は最近の生徒の“ひたむきさの欠如”の反映として、シラケムードに支配される場合がしばしばである。グループ学習も、くふうし、魅力ある展開を期さなければならないゆえんである。
(四) 読書指導
教科指導の発展的指導として読書指導がある。生徒の読書意欲を惹起するため、教科書教材に関連した作家の著書を図書館にそなえたり、紹介したりしているが、これが効果的である。また、生徒の図書貸し出しカードや閲覧カードをチェックし、「いいものを読んでいるね」という具合いに、折をみて生徒に声をかけたり、授業の場で読書アドバイスをしたり、教師の読書体験を語って聞かせる。司書の話では、図書貸し出しカードに教師の名前を見つけると、生徒は親しみと好奇心とでその本を読もうとするということである。やはり「教師は卒先して自ら読むべし」である。
(五) 作文指導の工夫
作文を書こうとしても、筆が進まない生徒が多い。また、文章の体をなさなかったり、誤字・脱字が多かったりする。漢字とは何なのか、を理解していない生徒も多い。「国語1)」で「表現」指導を重視して、このような傾向に対処しているが、途はけわしい。小説教材では、「初発の感想」を書かせる。段落ごとの内容をノートにまとめさせ、発表させる。そして、感想文を書かせる。ここで「初発の感想」文との比較をさせる。考えさせ、書かせることが肝要である。
次に、作文の場合は「構想メモカード」を用意し、この段階での「思考」を確実にさせる。
「国語1」になって「総合化」が打ち出されたが、ここにひとつの大きな意義を見い出しうる。従来の、現代文・古文・漢文の狭隘な枠を取りはずし相互関連性を重視した指導を展開するとともに、それを支える「表現」指導の重視が、よりよい国語指導を可能にすると思うからである。しかしながら悩みは残る。さらに有効な「表現」指導のてだてが、不十分であることである。この点は、今後の課題としたい。「表現力」をつけることが「読解力」をつける方途であることに、誤謬は見い出しがたいので、さしあたっては、この点に着目して、指導していくつもりである。
三 教材の精選
高校を卒業するとすぐに社会に巣立っていく生徒が多いので「これだけはぜひとも教えておきたい」と考えるものを重点的に指導する。「国語2)」・「国語2)」の「総合性」を前面に押し出して、重点的に指導する。文法は一年生の一学期段階で、以後の学習に必要欠くべからざる事項を、解釈文法として、無理のないように精選して与えている。動詞・助動詞・形容詞等の働きをかみくだいて、そのエッセンスを指導する。
学習意欲を喚起するポイントに「地域性との関連」がある。「奥の細道」の場合、わが陸奥の安達の里を俳人芭蕉はどのような感懐を抱いて通っていったのかを、教科書教材を踏まえて、そこにさまざまな資料を効果的に組みあわせて学習させることによって、確かな実感として受けとめさせることが可能になる。高村光太郎の「レモン哀歌」では、「樹下の二人」を配する。長沼智恵子の生家を訪れ、その裏山にある、この詩の舞台となった鞍掛の石に足をのばす。西に安達太良を望み、東に、光る阿武隈川が蛇行する一大パノラマは、在りし日の光太郎と智恵子を彷佛させる。この文学散歩は生徒を感激させる。そして、光太郎の「詩と真実」に生徒は尊敬と愛情の眼差しを注ぐのである。
考えるに、精選とは単に選び削ることではない。「奥の細道」での補充プリントと地域性との関連重視の学習、
資料2 国語1)学習指導案
(注)◎印の個所の学習活動を大切にした。