教育福島0085号(1983年(S58)10月)-035page
随想
心のゆとり
田中陽子
私の父は、公務員だったので、転勤があり、そのたびに私たち姉妹は、幼い時から、県内各地を転校しました。
小学校三年生の時、いわき市の中ノ作港の近くに引っ越しました。それまで山育ちの私は、その時はじめてバスの中から海を見、あまりの大きさに驚き、立ちつくし、声も出なかったのを今でもおぼえております。
郵便局の坂道をのぼった左手に、仮住まいの我家がありました。
中ノ作での生活が始まって間もなくこんなことがありました。それがまた私を幼児教育の道へと向けた動機でもありました。
私が小学校から帰ってしばらくたつと、毎日同じ時間に、笑顔の美しいやさしそうな若い女の人と、幼子たちの楽しい会話が聞こえてくるのです。にぎやかなその集団は、楽しそうにおしゃべりをして、坂道をくだっていくのです。まるでおとぎの国の夢を見ているようでした。私はいつしかその光景を見るのが楽しみになり、その集団を待つようになりました。幼い私は、その集団がどういう人たちなのか、いくら考えてもわからず、母にたずねました。すると母は「坂の上の隣保館の先生と、そこの幼児たちだよ」と教えてくれ、はっと気づきました。そういえば坂の上の神社の中に、ブランコや砂場がありました。あれはこの幼児たちの遊具だったのです。
この若く美しい保母さんと、キラキラ輝く幼子のひとみに魅せられ、さらに幼い時からこの子供好きが拍車をかけ、夢がふくらみ、この道に入りました。
この道に入って十七年間、無我夢中ですごしてまいりました。
その私が、今は学級担任から離れ、子供たちと先生がたを全体的な立場からみつめることができるようになって最近こんなことに気がつきました。
幼児たちを指導する中で、教師に一番求められるものは、『心のゆとり』ではないだろうかと。ゆとりをもって指導をしていると、幼児たちの姿がよく見えるのです。幼児たちの欲求もわかり、声も聞こえるのです。よく見えよく聞こえるから、それにタイミングよく対応もできるのです。すなわち、よく言われる「幼児理解」が、ここにあるのではないでしょうか。
自分の指導にゆとりがないため、幼児たちの姿がよく見えず、幼児理解もしないで、もちろん、場に応じた対応もできなく、幼児たちが悪いと、きめつけていたころの私は、そのことにはまったく気づかなかったのです。
子供たちが明るくのびるのも、のびないのも、教師の腕ひとつにかかっているのです。それだけに、責任もずっしりと重いのです。
時代とともに子供たちをとりまく環境も変わってまいりました。物資は豊富になりましたが、決して幸せな環境とは言えません。兄弟も少なく、もまれることもありません。また、交通戦争のため、外で存分に遊ぶこともできず近所のガキ大将のもとでの年齢差をこえた小集団の楽しい遊びも知らないようです。
おまけに両親の不仲、両親の無理解と核家族や経済的理由からの両親の幼児へのかかわりかたのまずさ等から、いろいろな障害をもった子も少なくありません。そのたびに、「この子になんの責任もないのに」と、胸が痛みます。
不思議なことに、そんな子供たちにも、愛情だけは通じるのです。教育の根底にあるのは、やはり愛情なのだとこの子供たちに教えられました。
こんな環境にある現代の幼児たちに満たしてあげられること、教え育てあげること、禁止させること等を、しっかり見つめ、幸せになれる自立への道を一歩一歩、歩ませたいと思います。
「ゆとり」は、幼児教育ばかりでなく、人生のすべてにうるおいを与えるような気がします。仕事も、人との交際も、住まいも……。
まだまだ未熟な私ですが、努めて心のゆとりに心がけたいと思っています。
公務員だった父も、この八月に他界しました。人の命のはかなさを知り、悲しみましたが、自分の仕事に精一杯生きぬいた父の姿を思い浮べながら、私もこの道を歩いていきたいと思っています。幼子たちに教えられながら力の続く限り…。
(国見町立藤田幼稚園教諭)