教育福島0085号(1983年(S58)10月)-039page
随想
若人と共に
佐藤正一
現在、高校教育をめぐる話題は、あまりにも豊富である。
新聞・テレビをはじめ、あらゆるマスコミに取り上げられ、慣れっこになっている。高校生の多様化の問題、非行問題など、パターンがきまっていて「ああ、またか」と見過されている。
このことは、我々高校教師の間でも例外ではないと思う。
一部の高校生による非行問題が、大きく取り上げられ、その内容が刺激的で、強く印象に残るため、大部分の正常な高校生の、健全な、真摯な姿を見る目に、多大の影響を与えていると思うのである。
次に、「原高新聞」最近号の「主張」の一部を掲げてみる。
「戦争を経てきた人々は、何事にも貧欲だった。社会に束縛され、自由を失いながらも何かを求め続けた。
与えられた物ではなく、自分自身の何かをつかみとるために、彼等は必死だった。彼等にとって、食欲になることが、生きることそのものであった。
しかし、彼等の時代は過ぎ去った。自由を獲得し、物質が汎濫する現代、私達は環境が良くなるにつれて、与えられた物の中で、ゆっくりと歩くことに依存している。そして今、私達は眠っているのかのごとく生きている。満腹になって眠る猫のように、恵まれた環境に甘え、眠っているのだ。
では、眠っている私達に不満はないのだろうか。………以下略」
戦中派の私にとって、とても現代の高校生のものとは思えないほど、共鳴のできる文章である。
彼等は、我々教師が日頃考えている以上に、良く自己をみつめ、「時代の流れ」を認識し、物質的には恵まれているが、精神的には貧しい現代を乗りこえて、新しい展望を拓いてゆかねばならないと判断できる賢明さをもっているのである。
私は、この現状認識の上に立って、高校生の健全な成長をはかり、向上心の豊富な彼等の要請に応えるため、教師集団としてどのように対応すべきか組織的に研究し、実践することを基本命題の一つとして、じっくり取り組んでみたいと考えている。
× × × ×
次に、若い先生におくることばを述べてみたいと思う。
私が教職に就いたのは昭和二十四年ですが、その当時のことを思い出してみると、生徒と共に、必ず先輩教師の顔が懐しく浮んでくる。
当時は「でもしか教員時代」と呼ばれたが、殊に私などは、浅学非才、未熟なくぜに強情で、「教育は情熱なり」と盲信し、浅薄な判断で行動し、先輩に迷惑をかけたことが多々あったと記憶している。
当時は何の娯楽もない時代であったので、多くの先輩の中に加えてもらって、一升びんを立てて、深更まで教育論を闘わせるのが楽しみであった。
生徒の行動とか人格とかいうものは絶えず変容していくものであるが、教師のそれも徐々にではあるが変化し、成長する。
教育は知識・技術と全人格のぶつけあいの両側面をもっている。そして人格には客観的な評価基準のようなものはない。それだけに間違いを起す可能性を秘めている。それで経験を積んだ先輩との人間的なふれ合いを得ることが必要だと考えるのである。
若い教師は情熱のあまり、ともすれば情熱的に流れやすい。それはまた、教師のもつあたたかみに通ずるものであり、貴重なものであるが、同時にまた、客観的に、科学的に生徒を理解するよう努めね、ばならないであろう。
周知のように学校教育は職員間の共通理解、共通実践が基調である。
経験が三十年か一年かの違いはあるにしても、同じ土俵に立っているという点では、生徒に対する姿勢に統一的な部分が出せねばならない。
高校教師のように専門性の高い仕事ではスーパーバイザーが必要なのに、かえって自分の殻の中に閉じこもってしまう傾向がないだろうか。
経験の浅い先生が孤立して悪戦苦闘することのないように、先輩教師が気楽に手をさしのべてやれる職場、希望、はてない高校生が明るいビジョンを確保できるような学園にしたいと願っている。
(福島県立原町高等学校教頭)