教育福島0085号(1983年(S58)10月)-049page

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「読書論」の歴史・素描(1)

 

県立図書館主任司書

 

佐藤美男

 

図書館コーナー

図書館コーナー

 

活字文化の危機が深化している。といわれてから久しい。それは“活字離れ”に始まり、最近では、書物用紙の甚だしい破損からくる危機の指摘である。この素材上の問題は、用紙の酸化インキの滲み防止剤使用からくる破損の進行のことで、このままなら書物の生命は約五十年しかもたないというのである。しかし後者についてはいろいろな技術上の対策がなされつつあるので、やがて克服への道を歩むだろう。それより、やはり深刻なのは「活字離れ」に象徴される、活字媒体そのものの存在意義・役割の問題であろう。

桑原武夫は『私の読書遍歴』(潮出版社・昭和五十三年)で、文化現象の中での書物そのものの相対的地位の低下を論じ、コミュニケーションの手段として、写真、ラジオ、テレビたどが次第に有力となる一方で、木の影響が十九世紀以来減じてきていることを指摘している。そして「こうした新らしい形式は精神の努力、緊張を必要とする度合が読数より少ないから、考えるという機能がおとろえる心配があり、それを防ぐためにいろいろ読書を奨励せねばならない」と述べた上で、「同時に、社会ないし世界の緊張状態が人間を疲労させ、疲労した人間は緊張を必要とするようた読書には堪えられずこうした新形式の方におもむくという事情も知っておかねばたるまい」と、その根の深さを洞察する。

こうした状況はたしかにあり、否定できない現実なのだがへ一方では活字でしか表現できないすばらしい世界があり、人類の知的生存にとってかけがえのない大切なものであることもまた事実であろう。

秋の読書週間が、十月二十七日から十一月九日までの二週間、「読書は新しい発見の旅」を標語に掲げて展開される。本年で三十七回を数えることになるが、これを機に、改めて読書の意義を考えていただきたい。前述のような難かしい状況下での読書とは何なのかを再認識してほしいのである。

以下、二回に分けてわが国の明治以降の代表的な「読書論」を数冊紹介した。それを考える一助に役立てば幸いである。題を『読書論』の歴史、素描としたのは、時代状況との連関に留意してもらうため、と同時に、新しい読書論の構築を切望する期待感の表れでもある。

 

○沢柳政太郎著『読書法』(冨山房、明治二十五年)−明治・大正の著名な教育家によって書かれた本書は、わが国における読書論の第一号といわれる。当時海外で行われていたノア・ポーターの『書籍と読書法』等々数冊の読書論を“編述”したもので、独創的著作とは言い難いが、全体を十章に分け、いわゆる“読書論”で問題とすべき要素は大方取り上げられている記念碑的なものである。戦前の読書論の主流といえば、やはり教養主義的読書論であり、そのエトスは以下の二著に代表されるだろう。

〇三木清著『読書と人生』(小山書店、昭和十七年)

○河合栄治郎編『学生と読書』(日本評論社、昭和十三年)

三木の著書は、世に教養主義の元祖と称されるもので、その“教養”とは、生活上必要な知識ではなく、一般的な意味においての“人間をつくる素養”をさす。そして単なる博識に終わるのでなく、終局的に自己完成の具として認識されるところに「教養主義」が生まれるとし、その源をヒューマニズムに求めている。そしてその読書論においては自分自身の読書法の発見(専門化=個別化)を至上命題とし、そのための多読の必要性、古典の重視などが説かれている。また河合の編著書は、当時一流の知識人を執筆者に迎え、その論を多角的に展開するが、つまるところは読書の意義が学問のそれと一致しそれは「人格構成」と「福利厚生」にありとするもので、両著書とも、いわばエリート学生対象の読書論といえるであろう。そしてそれが戦前教養主義読書論の特色であり、限界でもあった。

 

戦前と戦後の交叉期に著され、当時最高の水準を示す読書論として評価された田中菊雄の著書については次回に譲る。

 

 

 


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