教育福島0086号(1983年(S58)11月)-005page

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巻頭言

 

心の交流

 

樫村五郎

 

おいて、しかもふだんの練習の中にもみることができるのではないだろうか。

 

夏の全国高校野球は、「甲子園も、また、すばらしい劇場だ」と、いわれるように幾多の感動的な場面を残して終了した。高校野球が、多くの人たちに感動を与えるのは、勝利にも敗戦にも、共に涙する赤裸々な人間味をさらけだす純粋さと勝利への執念に燃えるひたむきな姿があるからであろう。しかしこのような場面は野球のみならず、他の多くの部活動において、しかもふだんの練習の中にもみることができるのではないだろうか。

そこで、充実した部活動を支える条件は何かを探ってみると、少なくとも三つの条件があるように思う。その一つは、それが好きな生徒によって行われているということである。つまり、その生徒の個性・能力や適性にかなった活動であり、それを十分に伸ばしうる活動となっているということである。その二は、絶えず、近い所に目標を設定し、それに向かっての努力の連続であるということである。その三は、監督と選手の間に成立しているよい人間関係である。監督は、選手の個性や能力を正しく把握し、どこでどんな活躍をするかを理解しており、選手は監督を信頼し、その指揮に従うという、尊敬と信頼の師弟関係が成立しているということであり、この点こそ部活動を支える最も重要な条件であると思う。

ところでこのような部活動成立の条件は、同時に教育そのものを支える基本要件でもあるといえるであろう。

実施後二年目を迎えた高校の教育課程は、特色ある学校づくり、生徒の個性や能力に応じた教育、ゆとりのある充実した学校生活、勤労の喜びを体験させ、徳育・体育を重視する教育、という四つの基本方針に従って、編成、実施されるべきものと示されている。それは、生徒の正しい理解を前提としてその心情をくみとり、実態に即した教育をせよということであり、また、教師と生徒の接触をより深めて血の通い合う温かい教育をせよということである。青年期にある生徒たちは、内面的には自己主張を強くもちながら、それを表面に出そうとはしない。従って、教師は、あらゆる機会と場をとらえて積極的に生徒の中にとびこみ、少しでも深く理解しようとする努力を怠ってはなるまい。

登校拒否とか、校内・家庭内暴力などもその原因は心の悩みであり、それが適切に大人によって理解されなかったために起きる精神的な現象である。特に校内暴力に悩んだ学校では、「生徒の問題行動を重視するあまり、一人ひとりの悩みなど、心情を理解し、援助しようとする姿勢に欠ける面があった」と一様に反省している。教師は、誠心誠意愛情をもって臨み、生徒の言い分を存分に受け止めてやり、生徒と意気投合する場面をつくるよう絶えず努力しなければならない。「埣啄同機」ということばがある。教師と生徒の呼吸が一致し、意気投合するところに本当の教育が成立すると思うのである。

 

(かしむらごろう ・高等学校教育課長)

 

 

 


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