教育福島0086号(1983年(S58)11月)-023page

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随想

 

純心

 

佐藤守男

 

「おはようございます」

 

「おはようございます」

「おはよう」楽しい一日の始まりである。つと二年生のA子がそばに寄って来た。

「先生の額、どうしてそんなに大きいだや」

「えっ」思わず額に手をやる。不思議そうに顔を見つめている。からかっているのかな、と思ったが…そうではなく真剣な眼差しである。

「生まれたときからなんだよ」これでは味も素っ気もない。

「いろんなことを勉強して頭の中に、たくさんつまっているからだよ」顔から火の出る思いで答えた。

毎朝、職員室の入り口で、あいさつをしないと教室へ行かないB子とC子小さな「かなへび」を何気なくおもちゃにして遊んでいるD夫、縦割り班掃除で低学年生を励ましながら率先垂範して黙々と汗しているE君…

学生時代の先輩が、仕事の関係で来町し訪ねて来られた。三十年ぶりである。話の途中で、

「久しぶりで子供らしい子供に会ったよ。東京には今はこんな子供はいくら探してもいないよ」と言う、チェーン店のコンサルタントとしての仕事をしている先輩が、学校前の店の改装で道路わきに立っていたら、三年生くらいの女の子が、

「しなた何やつてんだゃ」とにこにこ話しかけて来たのだそうだ。

「ここのお店の手伝いをしているんだよ」

「おらが家さは来てくんねえのかや」

「今日は、ここのお店の手伝いだからね、あとで行けたら行くからね」しばらく話しをしているうちに、

「しなたアメリカ人みたいだや」まことに邪心のない人なつっこさで、心がほのぼのとなる会話であったと話してくれた。近くで同じく改装をやっているU店のF子に違いないと思い、とても嬉しくなった。

素直で、人なつっこい明和っ子、本・校では、「礼儀の正しい子」「働くことをいやがらない子」保健衛生面での良い習慣、特に「地域ぐるみの歯みがきを忘れない子」が伝統として受けつがれている。

「駒止トンネル」の開通とともに南会津の東西の壁はなくなり、若松、田島方面との行き来も一段と激しくなったこの子供達の純心がどうなるだろう、変わるようなことがあってはいけないと思いつつも一抹の不安を感じる。

純心に、非なるものへの耐性をどう植えつければよいか心めぐらすこのころである。

子供は子供であり、大人ではないとわかっていながら、忙しさという名のもとに大人の考えで対処してしまう。一回だけの過ちで子供を悪者にしてしまう風潮はないだろうか。非行の原因究明対策と同時に善行に対しても、すばらしい、よかったとあたりまえに片つけるのでなく、発想の転換を試みてみたい。

学校と家庭との連携強化、家庭教育の大切さを果してどこまで理解しているのだろう。困ったときには、PTA(父兄)にお願いし、父兄側の行事や会合に行くときの心中はどうであろうか、同じ立場で、ともに考えなければ間にある子供はどうすればよいか迷ってしまう。社会の大きな流れを止めることはできないし、また、もとに戻すことも不可能である。できることは予測されるものへの先取りの精神で子供達への指標を親と教師が示してやることではないだろうか。

伝統の灯を消すことなく、子供達の純心をいつまでもと願いつつ……

 

(只見町立明和小学校教頭)

 

元気に歯みがきの明和っ子

元気に歯みがきの明和っ子

 

 

 


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