教育福島0086号(1983年(S58)11月)-024page
随想
心のふれあい
菅野祐子
夏休みも終った残暑きびしい午後の五校時、川原に石ひろいに出かけた。
「足、すべっかんな」
「もうちんとだ。先生おそいな」道案内の先頭に立っているのは、たった一人だけの一年生のT君、その後ろに二年生の女の子が二人、最後がわたし、三人の子供達から遅れまいとついていく。高瀬川支流の山あいのきれいな川原へつく、限りなく透明な川の水流の中にひそむ宝石のように輝く小石、川面が太陽の光を受け、ミラーボールのような輝きをみせる。
汗だくになり、草を分け入り、崖を降りた目の前のあまりにも素晴しい自然の美しさに、ただ教師の私だけが歓声をあげはしゃいでいた。
「先生、分校に来て良かったね」と、二年生の女の子の一人が言った。
蛇の大嫌いな私が、山の生活になじめず、山登りや川遊びには、一年生のT君が長い竹棒で草分けをし、二年生の女の子は、しんと静まりかえった木木の間にこだまするほど大きな声で歌を歌って歩いてくれる子供達。
今、ここで素晴らしい自然に接し、満足する教師の姿に、「これで先生は分校の先生になったんだ」という安心感と、親愛感に接し得たのだろうか。そっとその女の子を胸にだく。女の子はニッコリする。胸の中がジーンとあつくなる。教師生活二十年の中にみられなかった素朴な心のふれあいを感じる。
本校勤務五年の間に二度ほど分校を訪れたことがあった。
本校からは、阿武隈山系より流れ出る高瀬川に添って、曲がりくねった細い道を、左に渓谷の流れと、絶壁を見おろし、右には目にしみる木々の緑の中を十キロメートルほどのぼった山あいの空気のきれいなところに小さな分校がある。
いっかこの小さな分校で、この子供達とすごせる事を心の中で願っていたが、まさか実現するとは夢にも思っていなかった。
期待の分校生活に四月から入ると、今までの本校などでの学校生活とは別世界のようであった。
全児童数四名と、教師二名の極少人数で、クラスは、一年男一名、二年女二名の複式学級である。三名の児童を前にしながら一大勢の児童の中での話し方や接し方をしている自分に気づきハッとし、また複式学級の授業の進め方にも、戸惑うことが多かった。
一日の学校生活の中では、先生としてだけでなく、用務員のおばさんになったり、給食のおばさんになったり、とてもたいへん。でも「先生給食づくりのプロだもんね」とおいしく食べてくれる子供達を見ている時の自分は母親になりきっているこの頃でもある。
授業が始まる。一つの机に向かい合う子供の額と教師の額がぶつかり合う。まちがいに気がつく。一つの漢字を何度も何度も消して書き直す。お手本通りに書けるまで書き直す。その子供の理解されていない内容をわかるまでくり返す。何度も練習する。そんな授業のあとは、児童も教師も満足感でいっぱいだ。個々にあった指導の大切さを痛感する。
だが集団生活経験の少ないこの子供達には、わがままをむき出しにする姿や、教師だけを頼る視野の狭い面が見られる。「井の中の蛙」であってはいけない。分校だけで通用する子供であってはいけない。世の中に出てどんな社会にも堪えていける人間に育ってほしい。
そのような、たくましさのある人間に、一歩ずつ近づけていくように努力したい。
(浪江町立大堀小学校三程分校教諭)
ふれあいの川遊び