教育福島0086号(1983年(S58)11月)-027page
随想
多重価値社会
堀川清通
教職三十一年=昭和二十六年からの歩みをふりかえると、さまざまな教育改革、社会現象、若者文化が世界的規模で、時代の変化や社会変化という形で押し寄せ過ぎ去ったものである。
「○○化」とは常になにかが失われ消えて、その変化の渦の中からなにかが新しく出現することを意味する。
「都市化、過疎過密化、オートメ化、コンピューター化、核家族化 少児化…」などの言葉を聞くうちに「情報化社会 高齢化社会 管理社会 OA社会」の世界がつくられていた。
そういえば教科指導面でも「コアカリキュラム、化学AB、ケムス化学、CBA化学、化学1)2)、ファインケミカル、化学工学、機器分析、化学プラント、理科1)」等よくも多様な方向と質的変化の中で授業をもったものだと驚かされる。知識のスクラップ化するスピードが実に速くなっていく。
「三十年十昔」に思えて、教師として対応を迫られた数々をさがしてみると、生徒指導の領域では「民主化、新憲法、戦中戦後派、安保、全学連、過激派、学園紛争、三無四無主義、高校全入、非行化第三のピーク、暴走族、シンナー、カウンセリング、青少年の社会参加、ボランティア活動、校内暴力、教育の荒廃…」なにか心痛む、むなしさのわく歴史の流れが多い。
指導の目標づくりの柱となったものに「デモクラシー、実存主義、総合技術教育、行動科学、未来学、リカレント教育、キャリア教育…」があり「IQ、偏差値、EQ(倫理指数)、MQ(やる気指数)、チームティチング、期待される人間像、アイデンティティ自己実現、ゆとりと充実…」など時代を風びした教育用語も見落せない。
最も混迷の深いものに「ヒッピー、フーテン、カミナリ族、ノンポリ、モラトリアム、母源病、青い鳥症候群」「フィーリング世代、コミック世代、マンガ文化、テレビ人間、感覚思考、ミーの時代(自分主義)、レジャー時代、使い捨て時代…」そしてCMソング、ビートルズ、ロック、フォークなどのサウγド文化、オーディオ狂があり異常な速さで若者の生活の中へと入りこんだ。インベーダーやマイコン、キャラクター商品も。
その一方で教育ママ、乱塾時代、受験戦争、マイホーム主義、マイ・ルーム(勉強部屋の個室化)、父権喪失の時代、パート時代、カギッ子、キャリアウーマン、崩壊家庭など親も子もライフスタイルを大きく変えた姿がある。
くどく羅列したがこれらはその時代の一過性の徒花≠ネのか。それとも言葉は消えてもその体質や実態は底流として残るのか。風俗や流行語がその時代精神を表わすとすれば、それぞれの世代を育てた時代のもつ人間形成力−いわば時代が人々に与えた影響は意外にひだの深いものではなかろうか。
ものの考え方、行動基準、習慣が人々の生活様態そのものを変えてゆく。また、技術革新は後遺現象を予言できずいつも先行し公害やテレビッ子といった出現をみて社会を包みこんでしまう。
××族、ニューファミリー、意識皿型とよばれた世代が様々な意識構造と価値観(生きる支え、判断モノサシ)をもって現代っ子の親になっている。世の中もっともっと変わって多重価値社会の家庭と子供集団になっていくのが現実といえそうである。
戦後三十年の変転の中で恩恵の大きいことに二つある。第一は、日本語訳の国際的な名著が手にしゃすくなったこと−外国語に弱い私にとって最もありがたいことで、読む意志さえあれば刻々の世界の動向や断絶を居ながらにして知ることができる。鋭い目による分析、未来に向っての確かな展望、現代人への警鐘を示唆してくれる。ほんとうに文化的ショックを受け知的好奇心をあおり理念づくりの糧となった。
その第二は思考法や情報整理法等の開発で、ケースメソッド、KJ法、NM法、ブレンストーミング、グループワーク、COD…の思考技術や問題解決学を学び得たことである。更に筑波大で行う高校事務職員幹部研修の諸技法なども魅力が多い、生涯学習、高度学習社会のよさが開花しつつある。
わが校の就職希望の生徒にとって高校は最終の教育機関である。二十一世紀に生きる人間的な活力と適応力−転移力を育て、自己教育能力をたかめる教育に努力していきたい。
(福島県立坂下高等学校教頭)