教育福島0087号(1983年(S58)12月)-024page

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随想

 

教師になって

山内淳一

いましたっしかし、最近では校風にも慣れて、毎日楽しく学校に通っています。

 

私は今春、相馬高等学校へ保健体育の新採用教員として赴任しました。昨年一年間、原町高等学校で非常勤講師としてお世話になっておりましたが、教諭職となってからは緊張した毎日をおくっていましたっしかし、最近では校風にも慣れて、毎日楽しく学校に通っています。

 

相馬高等学校へ来て、まず一年生の体育と二年生の保健と体育をもつことになったのですが、なんといっても困ったのが一年生の授業でした。原町高等学校時代担当した、二年生、三年生の女子生徒は、おとなしく人間的にもほぼ完成されていて授業の進めやすい生徒たちでしたが、相馬高等学校の一年生は、入学したばかりだということもあって、まだまだ授業どころではありませんでした。本当にうるさく、注意していると注意だけで一時間の授業が終わってしまうほどでした。特に驚いたのは礼儀を知らないということでした。名前を呼ばれても「はい」と返事のできない生徒。体育教官室へはいる時に黙ってはいり、「先生いっかよ」と先生の名前もわからずに来る生徒。そのたびに何回も注意をしてきました。その甲斐あってか、最近ではずいぶん良くなり、授業も進めやすくなって、「これが一年生なんだな」と思うと同時に、「これが教師の仕事でもあるんだな」と思い、現在では楽しく授業を進めています。

 

授業で私は、まずどんな種目でも自分で先にして見せ、それから説明します。あまり上手でないと生徒にひやかざれたりしますが、とにかくして見せると、勘のいい生徒はそれでできてしまうのです。ただこれは、相馬高等学校でのことではないのですが、みんなが一生懸命とび箱をやっているときに、影にかくれてやろうとしない生徒がいたのです。私はそれをさぼっているのと勘違いして、怒ってしまったことがあるのですが、よく見てみるとその生徒はやらないのではなくて全くできなかったのです。できないからやらない、やらないからまたできなくなるという悪循環で、いったいどうしたものかと思ったのですが、とにかく何でもいいからとび箱をとばせて、とべればほめてやる、と言うよりはおだててやる、それもオーバーにおだててやることを繰り返したのです。すると、できないまでも、自分のできる範囲内でみんなと共にやるようになってくれました。そんな時はホッと胸をなでおろすような気持ちになり、喜びも感じました。

 

しかし、困ったことに、それは水泳などの場合は、できない生徒はいくらほめようがおだてようができないのです。できないまでも一生懸命な生徒は良いのですが、女子生徒を指導していた時、絶対プールにはいろうとしない生徒がいたのです。毎時間何か理由をつけてはいらないのです。私がどんな罰を与えてもだめでした。最後にその生徒と話した時に、彼女は、泳げないしプールがきたないからはいりたくなかったと言っていました。結局、三年間一度もはいったことがなかったそうです。別にプールに入らなくても単位はもらえたし、泳げなくても死にはしないと言われた時、私は返す言葉もなく、なんとももどかしい感じを受けたのを覚えています。あの時、講師だったとはいえ、何も言えなかった自分が悔しくてなりません。

 

学校生活で最も楽しいのは、部活動の時間です。私は陸上部の顧問をさせていただいていますが、生徒もこの時間だけは生き生きしています。私もまだ現役選手なので、生徒と共に練習していますが、そうすることで、苦しい思いや、楽しい思いを共に味わえるということは、生徒と一体になれ、コミュニヶーションをよくするということで大変役に立っています。

このように、授業でも生徒の中にとけこみ、一体となって意志の疎通をはかり、楽しく授業を進めることができるよう、がんばって行きたいと思っています。

 

(福島県立相馬高等学校教諭)

 

 

 


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