教育福島0087号(1983年(S58)12月)-027page

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親と子でともした希望の灯

「ふれあいのつどい」鳩原小学校

 

恵まれた小春日和の中を、小高町から五キロメートル程西へ入っただろうか、緑の山ふところに抱かれるように鳩原小学校の校舎が見えた。静かな純農村地域に位置するこの学校は、児童数八十八名の小規模校である。農村とはいいながら、専業農家は少ない。反面、父母の会社勤めも多く、親子の真のふれあいの機会が意外に少ないのだという。

次に紹介するのは、学校と父兄及び地域が一体となって実施した行事の一例である。

学校側と父母と教師の会では、「家庭教育の充実」をあいことばに、しつけを重視し、非行化を防止する一策として、今までに「親子海浜レクリエーション」「親子球技大会」等を行ってきたが、今年は、集団生活を通してより深い親子のきずなとふるさとづくりをねらいとして「親と子のふれあいのつどい」を実施した。実施に先だっての計画の段階では、父母と教師の会と教職員により、綿密な話し合いがなされ実行に移された。

八月六日(土)、午後一時、参加する者、児童七十七名、保護者四十名、教員九名の合計百二十六名の大世帯が学校に集合しての「つどい」の開始である。児童会長が「ぼくたちは、おとうさん、おかあさん、一年生から六年生のみんなと力をあわせ、楽しいふれあいを求めて思い出深いつどいにします」とあいさつした後、予定された伝承あそびに挑戦する。「初めて経験するあそびに、父兄も子供も一体となってのそれはほほえましい光景でした。指導するおとうさんが、逆に子供に教えられたりしましてネ……」とは、立谷勇祐校長の話である。笹舟、水でっぽう、釘さし、お手玉、出べそ鬼、陣とり等々昔のあそびに興ずるうちに、陽は裏山に傾く時間になった。

六時からは飯ごう水飯による夕食。親と子供がなごやかに夕食の準備をする。薄暗くなった校庭でのカレーライスの味は、また一入であったろう。

夕食が終わると待ちに待ったキャンプファイア。このところになると鵜原学区二百二十戸の家々から、三、三、五、五連れだって集まり、大きな人垣ができあがった。

やがて、校庭の中央に積み重ねられた井桁から、真っ暗な夜空をこがす大きな炎があがる。「まるで親と子の深い愛情の証のような火でした」と、当時を思い出して渡部俊延父母と教師の会長が感動的に語ってくれた。また、このキャンプファイアには、北鵜原地区の協力により、「はやー」の演奏などもあり相馬盆踊りなどに楽しい時間をすごしたという。「実は、この行事にはもう一つおまけがあり、高学年で希望する児童二十九名が講堂に宿泊したんです。父母の方が四名、教員五名と計三十八名での一泊でしたが、集団生活の規律や、ふだんではできないような体験をしまして、よい思い出づくりができたと考えているんです。また、次の日は追跡ハイキングを実施しました。これには宿泊しなかった低学年の児童や父兄も一緒に参加したのですが、ゴールをした時の親と子の満足な表情に接して、よかったナァと思っているのです」と関係者一同が口をそろえて話してくれた。どこからか「本年も是非実施して下さい」という、児童の声が聞こえてくるような響きを感じながら、鵜原小学校を背にしたのであった。

 

愛は炎とともに

東西南北

 

東西南北

 

 

 


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