教育福島0088号(1984年(S59)01月)-033page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

心の琴線にふれるには

 

高畑 光

 

高畑 光

 

教師になって二十数年がたつ。そして今、まるで新採用の教師のような情熱と感動につきうごかされる日々が続いている。そのことを書きつづって若い教師へのささやかな助言としたい。

S子を担任してから、八か月が過ぎようとしている。

S子は、生まれながらに強度の難聴で、彼女が話すことは、家族や親しい二、三の子供を除けば理解できない。その上、心臓が弱く、一昨年の手術でかなり良くなったとはいうものの、驚いたり疲れたりすると、いつ発作を起こすかわからないというので、特別扱いを受けながら五年生になった。

S子が本校に入学したのは、両親の強い希望によるものだが、彼女が普通学級で学ぶことの意味は、当人にはもちろん、一緒に学ぶ子供たちにとっても大きいと思う。そのためには、できる限り特別扱いをしないで、彼女のやれる範囲を広げ、自信を持たせてやりたい。学級の子供たちもまた、S子を支えることに喜びを感じる、思いやりのある子供にしたいと考えている。

四月、これまで母親が付きっきりの状態から、別室で待ってもらうことにして、母親への依頼心を、担任と級友に向けるようにした。

S子は良くできた子で、今まで以上に他人の話を注意深く聞き、まわりの様子にも敏感に反応するなど、母親のいない教室での生活にも、すぐ慣れていった。

しかし、私とS子とは、もっぱら彼女の書く日記での筆談に頼りがちで、会話は、子供たちの助けを借りないと進まないのが実情である。S子がこう言うだろうと予想できることは、目と耳を集中させることによって、どうにか理解できるようになった。それにしても、今までS子に対した時のように一人一人の子供の話に、耳を傾けてきただろうかと反省させられている。

S子は知能が高い。算数では、他の子供と遜色なく学習が進められる。しかし、国語はそうはいかない。言葉で言葉を学習する教科の特質もあるかもしれないが、一番の原因は、抽象的な発問をしやすい私にありそうだ。

その反省にたって、最近では、発問を吟味すると同時に、OHPなど視覚に訴える手段を多く取り入れ、中でも板書という、古くて新しい教授の方法を大事にしょうと思っている。学習課題とその提示の仕方を工夫し、学習過程にそった要点とまとめを、板書に位置つけることで、思考を助け、理解に役立っと思うからである。

生活の面でも、考えさせられることが多い。S子は、めったに忘れ物をしない。そのS子が忘れるのは、会議や出張のあわただしさの中で連絡をし、S子がメモをしたかどうか、グループも私も、確認をしなかった場合である

それは、特別扱いをしないことを口実に、その子に合った個別の配慮を怠ったことになると反省し、その子に合った「一言」を、どの子にもかけるように努めている。

それにしても、音のない世界に生きているS子には、私の乏しい経験では理解できないことが多い。

例えば、笛を正しく吹き、合奏に参加できるということ。また、音楽教室や演劇教室、映画教室などの後で、他の子供以上に、豊かな感想文を書くということである。もちろん、それらは音だけではなく、動作や照明や背景などが相まって、見る者、聞く者に伝わるのであろうが、S子は、聴覚を越えて、美しいものに感じる何かを持っているように思えてならない。

そのS子が、私の言葉を解さないのは、私の問いや語りかけが、彼女の心の琴線にふれる力がないからだろうか

長い間、健常児だけを相手にしながら、一人一人を生かす指導とか、児童の立場に立って考えると言ってきたが、本当にそうした努力と配慮をしていただろうかと、もう一度自分に問いかけている。

 

S子は変わってきた。しかしそれ以上に、二十数年の経験の上に、あぐらをかいていた自分が見えるように変えられたのは、S子と接することができた私自身であるとしみじみ思うこの頃である。教師という仕事は、自己の変革であるかもしれない。今、「経験」という安定感のゆらめきを体験し「初心」を考えさせられる毎日である。

 

(喜多方市立豊川小学校教諭)

 

 

 


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