教育福島0088号(1984年(S59)01月)-034page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

姿をみつめて

 

川田正裕

 

川田正裕

 

人間にとって「姿」は非常に大切なものと思います。生きる姿、働らく姿そして教師の姿など、それを学んできた私のささやかな経験をのべてみたいと思います。

「本日はご卒業おめでとうございます。四十二名の仲間達に話したいと思います。先生は常に『姿』を大事にしたいと思います。目標に向かって精一杯頑張っている姿、遊びに熱中している姿、友と語り、悩む姿など沢山の姿があります。この姿が集って一人の人間像ができます。「あの人は立派だなあ」という声を聞きますが、それは姿から判断すると思います。何年か後、このすばらしい仲間達の再会があります。その時、中学時代に先生がみつけられなかった四十二人の姿をみつめたいと思います。姿は自分の心がけ次第でどんどんかわっていきます。仲間が集まった時、自分の誇れる何かを持ってさて下さい。すばらしい四十二人の仲間と三年間楽しく過せたことを感謝しています。ありがとう。くれぐれも健康に気をつけて下さい。さようなら」これは五十五年三月卒業式後に父兄の同席を願い、最後の学級会で涙声で話したことばです。これまでの体験の中から自分にでてきたものですが、若かりた頃はただひたすらに情熱だけで走ってきました。

 

私が教職に就いたのは、四十四年の四月、まだ残雪が山々にみえた南会津郡田島中です。赴任当時は、学習指導法の県指定を受けた初年度で、校内は動揺の中にも活気がみなぎっていました。全教科で取りくむことから、美術科主任として無我夢中のスタートでした。授業研究もたびたび行われ、午前二時になってようやくできた指導案を枕元に置いて、保健室で同僚達と仮眠もしました。また、来訪者を迎えるために、校舎内外の整理整頓にあたった時である。教頭先生から、掲示の作品の配置について指導を受け、教頭先生の忠告を無視して台紙を破いてしまうなど、大変失礼な、恥かしいことをしてしまったこともありました。

 

また、県大会めざして、雪のため思うように走れない校庭で「先生より遅い者はもう一回」と言って足腰を鍛え初出場の県大会に縮こまる生徒を中央に誘い、共に汗して準決勝戦で惜敗したこと。以来「優勝するまで転勤しまい」そんな決意で部活動の柔道に一直線でした。こんな私に「柔道では飯は食えないよ。お前の担任教科は何だ」と助言してくれたS先生のことばも、当時は「焼け石に水」でしたが、今思えば心に強く響くことばです。そして赤ちょうちんで教育談義したこと。過去の美しい思い出が鮮やかに脳裏を去来します。それらの一つ一つの場面に未熟な私を励まし支え、温かく見守ってくれた先輩教師の姿が懐しく思い出されます。

なかでも私に教師としての基礎と生きがいを見い出させてくれたのは、丁校長先生との出会いです。先生は常に自らの五感を通して生徒や職員を掌握され、たぎるような教育愛で、適切な方向性を示してくれました。このような先生の姿は「厳しさと優しさは紙の表裏のように共存しなければいけない。生徒の変容前に教師自らの変容を」と願う教師に、私を導いてくれました。一方、S先生の「柔道では飯は食えない」ということばをかみしめながら、年幾度かの柔道仲間との顔合せをこよなく愛しています。

 

ある時、卒業生の有志数名が我が家を訪れ、ひょんなことから、同級会を夏休みに一泊で開くことになり、恐る恐る開いた同級会。節度ある会で和やかに再会を約束し合ってホッとする。今度はどんな姿をみせてくれるだろうと、楽しみがふえていきます。

また、K校長先生からの「若い頃の苦労は金で買ってもやれと言われますが、このことばは真実みがあります。…」との便りに、新しい意欲をかきたてられてもいるこの頃です。

人間はいろいろな人と出会い、いろいろな姿を発見します。その姿を自分を変容させていく「栄養」としたいものです。

 

(平田村立小平中学校教諭)

 

 

 


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