教育福島0088号(1984年(S59)01月)-035page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

心に残る教師とは

 

心に残る教師とは

 

菅 光照

 

アインシュタインが、「数学嫌いの原因は、果たして生徒が無能だからだろうか。むしろ私は、その多くは教師に責任があるように思う。大抵の場合は、必要なことはよく理解もし、教材として自由にこなすだけの力はあるがそれをおもしろくする力がない。このことがいつも禍のみなもとになるのではなかろうか。先生が退屈な呼吸を吹きかけたりすれば、生徒は窒息してしまう。教える能力というものは、おもしろく教えることである」と言っている。おもしろく教えるためには、教師は一人一人の子供のパーソナリテーを大切にすることである。子供の中にある個性や特性、創造性を引き出すことを教育の場で実行することである。それによって子供は自分の力を知り、他の人を尊重する態度を身につけるようになってくる。また、フレッシュな生き生きとした授業、子供の目がキラキラ仰ぐ魅力ある教育であってほしいと思う。

 

心に残る教師とは、

 

1)本当に実力のある教師

2)こわい、厳しい教師、自分自身に対しても厳しい教師

3)子供に対して熱情を持って教える教師

 

であることが、最も大切である。現在の教育思想や制度の上で、デューイの教育思想は、大きな影響を与えただけでなぐ、多くの教え子を世に送り出した。デューでの教育思想は教育方法論として科学的教育研究の方法として、実に合理的であり、画期的なものであったと言える。しかしながら、わが国の伝統的な教育思想の間に大きな隔たりがあり、デューイの批判も多くみられる。

岡潔氏は、「デユーイの教育思想には人の中心が情であるという考え方や自我の抑止力を育てることの重要性が見落しされている」と言っている。現在の日本は、高度な科学技術を駆使して「豊かな社会」を実現するために最大の努力を払ってきた。その結果、物質的水準は向上し、生活の便利さは増大したが、精神的道徳価値は、ともすれば見失われがちになってしまった。

今の子供の中には、情緒の不安定な者がみられる。学校・家庭・近隣での人間関係のゆがみによって感情生活に支障をきたし、社会適応が困難な児童生徒、たとえば、登校拒否、引っ込み思案等の非社会的問題を有する児童生 徒・反抗・怠学・金品などの持ち出しなど、反社会的な問題行動を有する児童生徒がみられるようになってきた。

これらの非社会的、反社会的な児童・生徒に対応していかなければならない苦痛もまた、教師の宿命であろう。そして、その苦痛をのり越え、教師に課せられた教育課程を忠実に実現しなければならないのである。

また、過保護・盲愛・溺愛されて育った者の中には、欲求不満への耐性ができていないのでわがまま、自己中心的・無責任などの行動をとったりする児童生徒もあり、これらの児童生徒には、欲求不満の場面にぶつかっても、合理的に欲求を処理することが困難で、ちょっとした欲求不満に直面して、すぐ不適応に陥る者もおり、それぞれに対しての、教師の対応が適切であるかどうかによっていろいろな変化をするもので、その対応が重要なゆえんである。

フランスのジャン・ジャックは「日本人は、絶えざる向上心、常に何かを学んでいこうとする姿勢と粘り強さを持っており、これこそ第一にあげるべきだ。日本人のように働くことではなく、日本人のように理解と勤勉な努力を重ねていくことが大切である」と言っている。情緒不安定、欲求不満な児童生徒に負けることがない教師であることを願う次第である。

 

人の身を

渡し渡しておのが身は

岸に上らぬ 渡し守かな

 

(いわき市立平第二中学校長)

 

 

 


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