教育福島0088号(1984年(S59)01月)-036page
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随想
ずいそうずいそうずいそう
心に入る
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渡邊豊一
楢原小学校には毎年、新採用教員が赴任してきている。新任の先生方は特別の事情のない限り四、五年間は勤務して貰っている。山あいに二つの分校があり、へき地経験が可能になるからである。
新任の先生方の過去の環境や経験は異なるが、念願かない夢を抱いての赴任だけに教育への情熱はすばらしい。
赴任して四年目の男子A教諭のことについてふれたい。結婚したばかりであった彼は「先生になれて嬉しい」と感謝の気持ちで分校に着任した。分校裏の文化風な明かるい教員住宅に家を守る新妻と住み、地域の人となった。
分校は児童数十二名、複式二学級の規模である。A教諭の担任は三年四名四年二名で六名の学級である。子ども達は若い男の先生に憧れた。A教諭も純白な子どもの姿に喜び、気魂とともに自信をもってのぞんだ。
始めての教壇、しかも複式学級、直接・間接指導の用語も初耳、週案も二学年分の計画、簡単にはいかない。先輩の助言を得ながらの教材研究と資料作りの毎日が始まった。気がかりなのは精薄的で場面絨黙の三年生の男児Kのことである。
「どうにか話せるようにしたい」
「みんなの仲間入りをさせたい」
どうすれば俺の気持ちがわかってくれるのだ。家族と話し学校で話さないK児の心を不思議にさえ思えた。
A教諭は担任発表後の指導の言葉を思い出して、K児の心に入いるにはどうすればよいか思案し、生活を共にすることを決意した。それ以後は機会を見つけては家庭を訪ね、許されるままにK児と夕食も入浴も共にした。一つの布団に寝ることもあった。回を重ねるうちにK児の考えも解ってきた。K児の表情は日増しに明かるくなって行動も静的から動的に変化し、子ども達の中に入るようになった。子ども達も進んで受け入れた。
それでもまだ話さない。K児の心の病を怨めしく思った。
雪解けの遅い分校の校庭も四月半ばともなれば、片隅に除雪で積み寄せられた僅かな黒みがかった塊を残すだけとなり、子ども達は待ち兼ねたようにボール遊びに興ずるようになった。
そんなある日の放課後のこと…
子ども達がサッカーに夢中になっている時であった。突如として「だめだ一」とK児が叫んだ。一瞬ゲームは中止され「しゃべった」「先生−しゃべったよ」教師と同じ気持ちの子ども達も喜んだ。K児をなでながら「よかった。本当によかった」と褒め称えるA教諭の心境は感慨無量であった。
「K児が話せるようになったのは、進んで仲間に入れてくれた子ども達のお陰です」と校長に報告に来たのは数日後であった。「K児を絨黙に追いやったのは、父親の過度の期待から出た劣等感の押し付けではないでしょうか」と付け加え、家庭における子どもの養育態度の重要さを痛切に訴えていた。
A教諭は赴任四年目で本校の体育主任と児童会主任となり全校的視野で活躍するまでに成長してきた。
いかなる仕事に従事する人でも、日々の発展向上を願わぬ者はいない。まして人を教え導く専門家としての教師にあっては、何者にも増して自己を磨くことが大切となってくる。
A教諭の事例は自己の内発的な欲求にもとづき、日々の実践の中に生じている問題を何とか切り開き、解決したいという問題意識で取り組んだ職務遂行の過程で行なわれた実践的研修である。
なす事によって学んだのである。研修の原点をそこにみた思いがする。
(下郷町立楢原小学校長)
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