教育福島0088号(1984年(S59)01月)-037page
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随想
ずいそうずいそうずいそう
愛に始まり……
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斎藤昭夫
国語辞典をひもとくと、始めに「あ・ああ」の感動詞が並び、続いて明快な語いとして、始めて「あい」がある。「あい」は「愛」ということでもありすべてものごとは「愛に始まり」ということなのであろうか。人間と人間とを結ぶ絆としてこの愛があり、それは時・空を越えて無限の広がりを見せ、種々の様相を具現化していることは論を、またないところである。
教育についてもその根源的基盤をなすものはやはりこの「愛」なのであろう。愛の関係のないところに真の教育は成り立ち得ないし、愛のない教育は不毛である。愛は教育の属性とも言えるであろう。
私は教員になりそめのころ、ある小さな「愛らしきもの」の原点に触れて感動したことがあった。
−私はそのころある小学校に奉職していた。受け持ったクラスは二年生、体育の時間であった。たまたまそのころ流行し始めていた新しいラジオ体操を教えることになった。私は壇の上に立って、始めからラジオ体操の範技を行っていたのであるが、途中まで来てどうしても次の運動を思い出すことができない。やむを得ずあらかじめポケツトに忍ばせておいた図解用紙を出して、台の上に置いて、かがみこんで見たのである。「次は!」と首を起こして前の生徒たちを見直したとたん、言い知れぬ感動を覚えたのである。生徒たちは皆、男の子も女の子も腰をかがめて、じっと地面を見つめていたのである。私の用紙を見つめているその姿勢が、そういうラジオ体操のひとつの運動として受けとられていたのである。この写真のネガのように正確に反応してぐる純粋さ、乾いた砂に水が浸み込むように吸収する清純さ、この純粋な子供たちを、どのように鞠育し、立派な人格を持つ人間に育てたらよいのであろうか。私は自分の無能力を恥じ、おそれ、悩み、考えたのであった。そして、このあたりにもひとつの「愛」の原点があるのではないだろうかと思ったことであった。
それから、一つの教育方法論としてよくこんなことを聞くことがある。「問題解決にあたって、子供たちが自らその問題点を見つけ出し、試行錯誤する中で、考えさせ経験させながら、自ら解決するよう努力させねばならない」と。
この方法論は非常にすばらしい、高まいな教育理念に立脚した、非常に堅固な教育方法論であると思うのであるか、私はこの方法論には、ある意味での限界点があると思うのである。
私はアフリカの土人が、サイを倒す話を聞いたことがある。サイを倒すのには、首の後ろにある、たった一か所の急所を刺さねばならないということである。しかし、そのことを知るまでに、何人、何十人という先人たちが振り飛ばされ、突き刺れて犠牲になったことであろうか。それは必死の捨て身の闘争によって初めて得た真実の知恵であったに違いないのである。教育とは、この宝石のような知恵をしっかり教えてやることではないのだろうか。サイが現われる度にガムシャラに立ち向かわせてはならないのである。それでは子供たち、青年たちの帳牡者を増やしていくだけにすぎないのである。この場合、試行錯誤は命を落すことになる。この知恵はしっかりと教えてやらなければならない。「考えさせ、経験させながら、自ら解決させ」てはいけないのである。私はここにもひとつの教育の原点があるように思うのである。
化学の実験で希硫酸をつくる場合にも同じようなことが言えるであろう。自分で考えて希硫酸をつくりなさいということで、子供たちにその材料を無条件に与えたらどうなることであろう。濃硫酸に水を注いだグループは、思わぬ爆発で大やけどをすることであろう。この際ははっきりと「水に濃硫酸を注ぎなさい」と教えるべきである。「先生はああ言われたが、ぼくはこういう方法でやってみよう」という発想は許すべきではないのである。
この辺の事情について、ある校長先生は「教育とは曲げてやることである」といみじくも言われた。この曲げてやることは、教えてやる(能動的な意味)と、とらえられないだろうか。私はこの言葉を忘れることができない。
(福島工業高等学校教諭)
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