教育福島0088号(1984年(S59)01月)-038page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

人間形成の歩み

 

川音朔郎

 

川音朔郎

 

私は、終戦後間もなく教員になり、四十年近くの教員生活を平々凡々と過してしまって、後悔ばかりが残っていますが、ただ、満足していることと言えば「学校がとても好きだった」「授業を大切にしてきた」ということぐらいです。近ごろは、生徒の授業無視が多く「どうすれば…」と苦悶しながら昔のよき時代を懐かしんでいる昨今です。

 

当時の日本は、経済的には全く混乱の時期で、今の恵まれた時代の人々にはとても想像出来ないような時代でした。日々の生活にもこと欠くような状態でしたから、学校生活も全くみじめなもので、更紙に印刷されたものを各人でとじた教科書を使い、作業場を教室にし、冬など寒さをしのぐために藁を敷いて授業をしたこともありましたが、生徒と教師のふれあいには厚い信頼感があり、温かく、親しみがありました。それから二十五年間くらいは地元の学校でお世話になり、その後会津の方に単身で赴任しました。初めての雪国の生活で随分苦労しましたが、土地の人々には親切にして頂き、また、生徒達も素直で楽しい生活でした。暇さえあれば生徒といろいろお話ししていましたが、こんなところにこそ、今一番心配されている「人間教育の場」があったように思われます。

 

それから一時期高等学校を離れ、目の不自由な子供達を扱う養護教育に携わりましたが、「自分で日常生活が出来ること。将来自活できること」を目標とした、まさに教育の原点に立った教育でした先生方によるトイレの掃除、洋服の着せ方、缶詰の切り方など献身的な指導には頭の下る思いでした。短かい期間ではありましたが、私はここで貴重な経験をさせて頂きました。

 

その後、再び高校に戻った訳ですが、このころになると時代の流れはいかんともし難く学校はその機能を十分に発揮できず、学校本来の姿である「勉強する場、人間形成の場」というよりは、社交の場レジャーの場と変わって来たような気がします。

 

×  ×  ×  ×

 

昨今、学制改革の話題が新聞紙上を賑わし、それぞれの機関で研究され、過日は、若干手おくれという感がありますが、中教審から教育内容にかかわる中間報告がなされました。中学校における習熟度別指導、高校入試の見直しなど、総理府の教育問題に関する調査によると、中学校における習熟度別指導については反対の方が賛成の倍以上あるようですので現場に取り入れるには、相当問題がありそうです。また、これが法制化されるまでには、長い年月を要するものと思われます。

 

今の若い先生方は、難関を突破された方々であり、教育愛も強く、熱心に指導に当たっておられますが、理想と現実の差が大きすぎて悩んでいる方も多いと思います。たしかに意欲が低く教師の言葉には耳をかそうとしない先生を扱うことは大変ですが、どうかいい意味での図太い神経をもって、逃げることなく生徒にぶつかって頂きたいと思います。

 

思い半ばにして挫折し、教職を去って行った先生が身近にいるだけに痛切に感じています。

しかし、教師離れの多い現在でも部活動している生徒は、顧問の先生には全面的に信頼を寄せ、信服しているようです。

 

進んで部活動に参加し、人間形成の場としても部活動を大事にして頂きたいと考えます。今後、先生方は学校教育では教わらなかった難かしい場面に遭遇すると思いますが、経験豊かな先輩の指導を仰ぎ、自分の是とする教育の一つ一つを実践し、理想とする教育の場を築いて下さるようお願いします。

 

(棚倉高等学校教頭)

 

 

 


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