教育福島0090号(1984年(S59)04月)-033page

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随想

私の小学校時代

 

季節の中で

 

菅野一治

 

菅野一治

 

例年になく長く厳しかった冬もようやく終り、春がいっぱいに感じられるようになりました。福島市から見える山々はまだまだ残雪が多いようです。信達方部では、吾妻小富士の北側斜面に雪うさぎの残雪が見られるようになると農作業が開始されるといわれ、田に畑に農作業をする人々が見られるようになります。

 

私もあと数年で教師生活二十年になろうとしております。わが子が小学校へ通うようになり、私自身の小学時代をふと思いだす時もあります。

私は太平洋戦争が終り暗中模索をしていた日本に、どうにか明るさが見えてきた昭和二十六年に小学校に入学しました。田舎の学校で、当時、水道もなく、水は手押しポンプで井戸から汲み上げていました。教室の机は、低学年では二人がいっしょに使用するようにできており、清掃のときはなかよく両側より持って移動したものです。給食は一日おきに脱脂粉乳とかぼちゃなどの入った味噌汁とが出ました。家でとったねずみのしっぽを学校に持ってきて飴玉をもらったり、回虫駆除のため海人草を飲んだり、運動会でははだしで走ったりしたことなど、楽しく思い出されます。

 

私の家は農家で、現在も両親は元気に農業を営んでおります。この季節に田を耕すトラッターや田植えをする農機具のエンジン音が聞こえてくると、小学時代に父母の手伝いをさせられたことを思い出します。

そのころ私の家では、ホルスタイン種の乳牛を飼い、乳をしぼるほか、その牛で田を耕したり田植えの準備をしたりもしていました。牛を引いて田んぼへ行き、父の指示に従い牛を導く「しろかき」作業の「ハナドリ」を小学三年から行いました。身体の小さい子供が大きな牛を引くので、時には自分が牛のかげになって見えないこともあり、みんなにびっくりされたものです。作業は大変です。牛は大きいので、牛の歩みに合わせて進むには、水の入っている田んぼを泥だらけになりながら走るように進まなければなりません。また牛によって癖があったりして、子供ながらに大変苦労したものです。

私は、身体は小さかったのですが、幸いなことにいたって健康で、小学校を卒業する時には皆勤賞をいただきました。これも我慢することや努力の精神を父から教わったためだと思います。何事も我慢と努力が肝心である。一つのことを始めたら途中でやめてはいけない。我慢・努力は物事をなしとげるためには不可欠の力であり、いつのまにかその人間性を形成していくものだと思います。

 

スイッチを入れるとすぐ画面が出てくるテレビで、その場限りの楽しさを求める現代の小学生を見ると、つい昔の自分と比べてしまいます。自分の小学時代は勉強・家の手伝い・遊びが中心の毎日でしたが、遊びの中でいろいろなことを学びました。雨あがりの柿の木の滑ること、実は種子が固くなれば食べられること。山から川から、そして、移りかわりいく季節の中でいろいろなことを自然から学びました。また、布を固くまいたボールと手作りのバットで行ったソフトボールのおもしろかったこと。

 

今は自分も小学生の子を持つ親になってしまいました。日進月歩の現在、昔も今も、そしてこれからも変わらないであろう何かを子供たちに伝え、教えたい。そんなことを考える今日このごろです。

夕方になると連続ラジオ放送「赤胴鈴之助」を聞くためにとんで帰った小学生時代、そんなことを懐かしく思い出します。

(川俣高等学校教諭)

 

 

 

 

 


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