教育福島0091号(1984年(S59)06月)-023page
随想 ずいそう
青春時代の思い出
吉田 芳江
私が女子高校に入学すると先輩からハンドボール部に入る誘いがありましたので喜んで入部しました。一年生の時は球拾いと基礎的なトレーニングに参加するくらいでした。待望のレギュラーになったのは、二年生の四月でした。激しい練習の成果が実って、福島県大会で優勝し、名古屋でのインタ}ハイに出場することができました。インターハイでは、一回戦で敗れてしまいましたが、あの悔しさが今でも印象に残っています。その後、体を鍛えるために、五年間バレエ(踊り)の練習を続けました。
昭和三十九年の四月に郡山市立安子島幼稚園に勤務しました。幼児を実際に保育して驚いたことは、幼児は?りいことをさけようとする傾向が多くみられることでした。かけっこの途中で「つかれた」と言ってやめてしまう幼児、縄跳びでも「そくった」と言って目標の回数を跳ばない幼児もおりました。最後まで頑張り、努力し続けることをしないのです。スポーツをしてきた私から見れば根性のない意志の弱い子供にみえました。そこで最後まで頑張りぬく根性を養うために、健康の領域にある保育内容が習得できるように指導しました。基礎体力をつけるために、保育を始める前に校庭を毎日二周走らせることにしました。走り終わった幼児には、表に二重シールを貼ってほめてやりました。しばらくかけっこを継続している間に幼児は、シールを貼ってもらいたいので、自主的に校庭を走り回るようになりました。
また、ボール運動などでルール違反をした幼児には、厳しく注意し、ルールを守らせるよう徹底的に指導しました。スポーツのルールを守ることが他の領域、幼児の生活の中でも生かされ、ルールを守ることがいかに大事なことかが幼児に理解されてきました。
「廊下を走ってはいけない」というきまりも守られるようになりました。道路を横断するときの右見て、左見て、手を上げて渡ることも正しく行い、違反する園児も少なくなりました。二人で手をつないでボールを足でけって旗を廻ってくる運動などは、二人の協力が必要なため、仲良く協力する態度も養われます。スポーツで行動したことが、スポーツのルールを守らせることにより他のことにも、大きな効果がありました。
近代スポーツの華は野球と言われています。しかしハンドボールのスリル、楽しさは、ハンドボールをしたことのある人にしか分かりません。キーパーのすきを突き、サイドからボールをシュートした時のスリルは、表現できないものがあります。
卒業後は私たちハンドボール部の仲間で、「つぼみ会」を作り、二年に一回程度の親睦会を持っています。−親睦会には南は東京、北は仙台から集まり、時を忘れてハンドボールの楽しかりたことや、苦しかったことなどの思い出を語り合います。スポーツ仲間は友情の絆で結ばれています。スポーツで体をきたえたおかげで、勤務二十六年になりますが、自分の希望した職業にめぐまれ、毎日を健康で勤務しております。長い幼稚園生活の中で、病気で休んだことは二回ぐらいだと記憶しています。
私にとってハンドボールをしたことは青春時代のよい思い出立なったばかりでなく、幼児教育に役立ち、入生に楽しみと潤いを与え、大変よかったと思っております。今後は、ジョギングやボール運動を行い、体力をつけて幼児教育になお一層精を出していきたいと思います。
(郡山市立安子島幼稚園教諭)
スポーツ好きの体育嫌い
鈴木 徹
「体育ができないなんて気にすることないよ。運動するの嫌いじゃないだろう…。うん、それならだいじょうぶ。体育は、楽しく運動することが一番の目あてなのだよ」
私は、受け持ちの子供たちが変わるたびに、運動の苦手な子へ体育の嫌いだという子にそう話しかける。もちろんこのようなことを話すのは私だけではあるまいし、ごくあたり前のことでもあろう。しかし、子供のころ、いわゆる『スポーツ好きの体育嫌い』であった私には、本心からそう言わざるを得ないのである。