教育福島0091号(1984年(S59)06月)-027page
くれる。七十年国体を誘致、成功をめざす我が県も、指導者養成とか競技の向上とともに、スポーツを理解し、発展させる人材を一人でも多く養成し、全県的なスポーツのレベルの向上をはかっていただくことを期待している。そのことが一人一人の人間に心の豊かさを与えてくれるものと信じて……。
(磐城高等学校教諭)
底なし沼
水野 栄子
「この道に入ったら抜けられないよ。底なし沼だからもがけばもがくほどのめり込むよ……」
これは、初めて特殊教育に携わったとき、ある先生が若輩の私に話してくれた言葉です。この先生は、長年この教育に力を注ぎ精通された方でした。
あれから十年、この道を歩み続け、“やっぱり抜けられなかった”と時折思い出しては一人苦笑しています。
精神薄弱養護学校を皮切りに肢体不自由、盲ろう、病虚弱、重症心身障害児、特殊学級となんらかの障害を負った子供たちと過す機会に恵まれました。
この子供たちと過ごし、この道から抜けられない原因として常に冷静に己を見詰め厳しく自問自答する瞬間と、無条件に心安らぐ不思議な空間と、どうにも分らぬ解決しがたい部分が共通してあるかちのように思います。これらはどれも、底なし沼のように深く底なる答えがないように思われます。
冷静さを失うと子供を追いつめ苦しめ失望させ、成長や発達・生きる力や喜びを踏みにじることになるのではと、心の冷える思いがします。
病弱養護学校で四年生のネフローゼのK男を担任しているときでした。三歳で発病し退院の声が聞かれる矢先再発してしまいました。年の瀬に引いた軽い風邪が原因でした。驚き駆け付けるとシーンとだれもいないベッドでフトンを頭からかぶり母親と抱き合って泣いていました。とても苦しく切ない場面に胸の張り裂ける思いでした。悲しい怒りをどこにぶつけてよいのか声が声にならず涙も出ませんでした。私は、K男と母親がかわいそうで「来年も一緒だから心配しないで」とやっとの思いでつい言ってしまいました。K男は、その一言を心の支えにしたようです。四月の担任替えで会いに行くとベッドに潜り一言も口を利いてくれず、どんな言い訳や慰めも耳に入らなかったようです。それから、K男に口を利いてもらえるまでに二年間と言う長い年月がかかりました。
冷静さを失って言ったたった一言でどん底に突き落とした裏切りは大変な罪深さでした。この事例と類似して常にどうあるべきかを瞬間的に判断しなくてはならぬことが多くあり、大変良い経験になりました。
このこととは逆に、無条件に心安らぎ心惹れる不思議さもまた抜けられぬ要因です。
知的障害の子供と初めて携わり、訳も分らずに接し疲れて休んでいると突然目の前に丁子が顔を突き出してきました。丁子の澄んだ瞳と天使のような笑顔に思わず抱きしめてしまいました。
このとき以来障害を負った子供たちの顔に安らぎと心惹れる不思議さを感じるようになりました。
また、あるとき、重度の寝たきりの子供たちのところに久しぶりに会いに行ったときのことです。目の前の子供以外のことは、なにも考えず子供とだけの世界にぐんぐん引き込まれたことがありました。知らぬうちに、どうしたら心が通じ合え、喜びの表情が見られるのかとそのことだけに集中していました。
指導以前の魂のぶつけ合いに、なぜか心が満され充実感に浸れるのでした。
三つ目の要因として、どうにも分らぬということがあります。分らぬが故に解決の糸口を見つけたいばかりに、もがきのめり込んできてしまいました。
辛うじて先生方の助言と協力を得ながら毎日を過ごしていますが追求すればするほど、考えれば考えるほど分らなくなります。けれども、どんなに困難な問題でも基本的な考え方を持つことにより、やがては解決していく味わい深さがあることを、このごろ分るようになりました。
指導に行き詰まり誤った指導に走っているとき、語らぬ子供たちから、見えず聞こえぬ子供たちから、動けず動かぬ子供たちから教え導かれていることに気づかされます。この子らは、私たちが忘れてはならない人としての教育のあり方と、真実を厳しく、しかも、温かく示唆してくれています。
底なし沼、この沼に私は、もっともっとのめり込みたいと思っています。
(玉川村立玉川第一小学校教諭)
サッカーと私
古川 方明
スポーツ少年団のサッカーを指導するようになって、四年が過ぎた。それまでの私は、サッカーとはテレビで観戦するだけであり、プレーヤーとして