教育福島0092号(1984年(S59)07月)-010page

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自覚はかなり高いが、「落ちている紙くずを見たら拾う」が三二%と低率で、自ら進んで行う美化の意識は低い。

2) 清掃を一所懸命にやっているかとの問いに、「やっていない」と答えている生徒が三分の一を占めている。その理由として、「勉強が精一杯」「だれかがやるから」と答えた者が三分の二を占めた。

3) 歩きながら飲食することについては、「よくない」とする否定的な考えの生徒が六三%を占めているが、八四%の生徒が「そのようなことをしたことがある」と答えている。

4) 公共物への落書きやいたずらなどには、七二%の生徒が「だまって見過ごす」と答えている。

5) 学校の便所に備えつけのトイレットペーパーを教室に持ち込んで個人用として使用しているのを見て、「別にわるいこととは思わない」と答えた生徒が四〇%を占めた。公共物に対する生徒の意識や環境美化については、自覚しながらも自発的な行動に結びつけにくい傾向が浮き彫りにされた。

(2) 保護者対象の調査の結果

1) 家事手伝いは家庭における重要な勤労体験の場であり、保護者の九三%が「させるべきだ」と答えている。

しかし、実態は積極的に手伝うとみられる回答が八%に過ぎず、保護者の考え方とは大きなへだたりがある。

2) 公衆道徳や日常生活の作法について、家庭で十分配慮しながら「しつけ」をしているとの回答が九四%を占めており、家事手伝いの必要性と並んでほとんどの保護者が子供の調和のとれた健全な成長を期待していることがわかった。

3) 家庭外での体験、たとえば「近所での清掃への協力」等はきわめて、低率であり、家庭内における手伝いやしつけを重視しているのとは対照的であった。

これらのことから、現在の子供たちが家庭の殻にとじこもり、地域社会とは疎遠になり、そのために社会性を十分に身につけることができず公徳心の低下を招いていることがうかがえた。したがって、公徳心の高揚が学校教育における重要な課題の一つである。

(3) ホームルームでのおもな実践

1) ロングタイムで共通主題による全校同時展開の話し合いと討議

(ア) 公徳心について、体験や文学作品、評論、報道等を題材にして行った。

(イ) 放課後、指導担当者がその実施結果を持ち寄って評価を行いながら研究協議を行った。 (六月)

2)校外の美化活動

ロングタイムを二時間まとめて、一学年を三回に分け、駅から学校までの通学路や近くの公園の清掃等の体験学習を行った。 (十月・十一月)

終了後、感想文を書かせたり、ホームルームで発表し合ったりした。

感想文にはいままでにない経験をして清新な感慨を綴ったものが多かった。

○「思わぬところにたくさんのごみが集中していたり、人目につかないところに落ちていたり、もう、とにかく拾いまくった。

活動し終えて集まったごみの山を見ると、どうして僕たちがこんなことをしなければならないのかとつくづく思った。枯れ葉、落ち葉や雑草の除去などならともかく、人間の捨てたごみを拾うというのは、少し妙に思った。

なにも空き缶やびん、その他をむやみにそのあたりに捨てなければ、あとあと拾う必要はないわけだ。

僕は活動を通して、これからごみをふやす手伝いはしないようにと心に誓った」 (原文のまま、抜すい)

〇「校内マラソン大会は私の誕生日であった。完走した自分はこのことを十六歳の年齢になった自分にあてはめて満足していた。これからの人生を力いっぱい走ろうと新たな気分になっていた。

その次の日に環境美化活動があったこともなにか意味があるように感じた。(中略)さて、日ごろ私たちは勤労には無縁であり、考えることも体験することもない。

学生の本業は勉強であるとして、最近は勉強=試験勉強としているむきがある。本来はこの勉強とは人格の向上ということではないだろうか。学歴社会の悪弊だ。

今回の活動は、勤労というほどのことではなかったが、このようなことが、ともすれば受験一辺到に終始しがちな日々に導入されたということに拍手を贈りたい。

 

公園清掃の奉仕活動

公園清掃の奉仕活動

 

 

 


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