教育福島0092号(1984年(S59)07月)-022page

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今である。

三年前より、学級担任を離れ、破格な園長代理の辞令を拝受したが、一瞬驚きと感激を味わうと同時に、反面、不安と動揺が交錯して、心中を掻き乱されて落ち着かず、又、自分自身の未熟な能力を考えた時、焦燥がつのり、安眠出来ない一夜を過ごした事を今もって覚えている。

以来、三年間、役席を与えられた以上、職責を全うしなければの一念を持ち、全力投球の構えで、やせた驚馬にむちを打っての日々であるが、驚馬は所詮、驚馬であり、驚馬の域を越えられず、今も暗中模索の有様なのである。

だが、ある本で読んだ一節に、「モウ、駄目だ」と思えば何事も駄目であるし、「マダ、マダ」と思えば何事も頑張れるものである。成るか成らぬかの分岐点は、「モウ」と考えるか「マダ」と考えるかで決せられる。「モウ」と考えれば、生きているものも死んでしまうし、「マダ」と考えれば、駄目かとあきらめたものでも生き返ってくるものである。人間は、いかなる場合でも「モウ」と考えてはならない。どんな時でも、「マダマダ」と頑張るべきである。仕事に失敗しても「マダマダ」、つらい事があっても「マダマダ」悲しい事があっても「マダマダ」と。しかしながら、この様に公然と断言はしたものの、翻って自身を見るに、いつも、「モウ」と「マダマダ」の境界線で右往左往している何とも情けない状態なのである。

こんな時、決って私は、自分だけの趣味の時間(茶の湯)を持つ事にしている。と言っても、主人の仕事柄、常に拘束を強いられているのが現実であるが、この頃は逆に拘束の中から、いかにして、開放を捻出するか、工夫する事も又、楽しみとしている。客が帰り、後片付けも終了、子ども達も寝静まれば、「さあ、もう邪魔者はなし」雑事から開放されてようやく自分だけの時間の到来である。子どもが遠足に行く前日のごとく、主人がゴルフに出かける前日のごとく、嬉しそうに、いそいそと置炉にスイッチを入れる。茶碗も、水差も、建水も、いつもの慣れた手順で短時間に準備が進む。帛紗を腰につけたら全て準備万端整う。深閑とした中で、お湯のたぎる音を聞きながら、静かにお茶をすくい、ゆっくりと点てながら、自ら飲む一杯の味はまた格別である。あわただしい生活の中で、この一味を楽しむ事が出来るのは、数少ないくらしの中のゆとりであり、心から幸福を感じる時である。だれからも拘束されず、日々の生活をじっと見つめる事の出来るこの時間こそ、私の大きな趣味の時間なのである。

さて、茶の湯は、数百年という年月をかけて、幾多の先人達が試行錯誤の末、練り上げ・磨き上げてきた素晴らしい日本の伝統芸術である。俗人の私には、この真の奥義を理解することは、まだまだ及ばぬ事であるが、今では、生活にお茶を認める事では人後に落ちないとも思っている。この頃、忙しい日々の明け暮れの中で、ふと、お茶の一服が、無精に欲しくなるのである。育児に一段落した今、職場の中で、家庭の中で起きた煩わしい事も、お茶に向かうと瞬間、何もかも忘れ、無我の境に入れる事は、お茶は私にとって、正に、精神安定剤である。又、怒りを静め、哀しみを忘れさせてくれるお茶は、又、私にとって一つの救いであると共に、いこいの場所でもある。今後も、自分の心の道を拓き、繁忙の中に自己を見失う事なく、動の中に静を求めるこのお茶の道こそ、生涯の友として続けていきたいと思うのである。

生活があわただしくなればなるほど逆にもの静けさを求め、心にゆとりをと願っている自らに、亡き父の姿が重なり写るのである。

 

の真意が同様の身となった今にして、ようやく理解する事ができたのである。

 

若くして、伴侶に先立たれ、しかも教職にあった父が、唯一、自身の時間を持たんが為の、大喝一声の真意が同様の身となった今にして、ようやく理解する事ができたのである。

(泉崎村立泉崎幼稚園園長代理)

 

絵と私

国井トミ子

 

い気分になることがある。絵筆を一度ももたない日が続いているときである。

 

夕食のあとかたづけを終え、仕事や家事の雑務から解放されて、一日の生活リズムが終ろうとしているとき、なにかひどく落ちつかない気分になることがある。絵筆を一度ももたない日が続いているときである。

絵と私とのかかわりは、遠く高校時代にさかのぼる。美術クラブに入部しそのときの先生との出会いが、私のその後の方向を大きく変えることになった。そして絵の教師としてスタートを切った私にとって、絵は専門でもあり自己研究の場であった。今はあるきっかけから、身を転じて特殊教育に携わっているものの、絵を趣味というにはぜい沢すぎるかもしれない。

私にとって絵の表現は、一つの世界の感動と緊張感をキャンバスの上にぶつけ、そこに叙情的で虚の世界を表現できればと思っている。身近に触れるものの中に題材を発見し、具象から単純化、半抽象へと、詩情豊かに形象化して描けたらと思っている。これまで

 

 

 


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