教育福島0093号(1984年(S59)08月)-023page

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随想 ずいそう

 

私の中の自然

真田智文

 

いが、日頃あまり気にも留めない大切な事を、私達に教えてくれると思います。

 

私にとって趣味と言えるものは、渓流釣りです。これを始めてまだ五・六年と日は浅いのですが、日常生活と掛け離れた自然の中で、魚という生き物を釣る楽しみは、スポーツなどをする楽しみとは少し違います。自然との触れ合いが、日頃あまり気にも留めない大切な事を、私達に教えてくれると思います。

この事は、渓流に棲む魚が昔に比べて極端に減っている現実を前にすると強く感じます。ただ、最近は養殖の技術が発達して、その生産が容易になり放流された魚によって、その数はある程度維持できていますが、川の中で自然に繁殖している魚は、減少の一途をたどっているのが現状です。その原因には、大きく分けて二つあります。一つは生息環境の破壊が挙げられ、もう一つは釣り人の増加が挙げられます。この二つの原因が複雑にからんで、魚を減少させていると考えます。

渓流の環境破壊が、目に見えて進行し始めたのは、昭和四十年代に入ってからでしょう。その頃、日本は高度成長期にあって、工業化が促進されていました。それに伴って、山村からの労働力の流出による過疎化や燃料が薪、炭から石油への変化、そして、都会での持ち家の建築ブームなどにより、それまでの山村や森林の構造が、大きく変化しました。具体的には、薪や炭を作る対象となっていた自然の森林が、採算性の重視により、山一つが丸裸にになるような伐採をして、住宅建材用の杉などの木を植林したり、そのために林道が山の奥深くへと延ばされたことを意味します。

ところで、元々自然のままの森林には、河川の流量の確保とその安定機能という重要な役割を持っています。それは、森林の下には、落葉が腐食してできたマット層があり、これが川の流量を安定させてくれます。さらに、渓流魚にとっては、餌となる昆虫を直接あるいは間接的に供給してくれます。このような機能を失わせてしまう森林の荒廃は、土砂の流出を起こさせ、それを防ぐため渓流に砂防堰提が、次々に建設され、河川が階段のようになり、渓流の荒廃を招きます。

以上のように、森林伐採や林道工事によって川の生産力は奪われ、電源開発などによるダムの建設が渓流の環境を大きく変えて、渓流魚が生育できる環境が著しく減っています。

一方、自家用車の増加と林道の発達は、釣り人を増加させ、渓流魚の減少に一層拍車をかけています。

こうした状況の中で、今後も末長く渓流釣りを楽しむために考えられることは、四季と共に表情を変える自然をいつまでも守りたいと思います。それは、人間が本来自然の一部であり、自然と共に活かされているはずです。ところが、機械文明の進歩は、物質的な豊かさと引き換えに、精神的な豊かさを失わせてしまいました。これを取り戻すために、私達人間は、自分本位だけの考えや行動を改め、自然に対する思いやりを持ち、節度ある行動をとらなければならないと思います。それによって、これ以上の荒廃を食い止め、より豊かな自然を育てることが可能になります。

(県南教育事務所主事)

 

まっしろな画用紙

長沢 さち子

 

ごさせるにはどうしたらいいか、一瞬とまどいに似た感じを覚えたものだった。

 

環境緑化で知られる月輪小学校と併設の本園に赴任したのは、今から三年前、ちょうどそのころの私は、産休・育休を目前にしていた。これまで勤務していた園とはまるで違った、恵まれすぎる自然環境の中だけに、子供たちを思う存分いきいきと楽しく過ごさせるにはどうしたらいいか、一瞬とまどいに似た感じを覚えたものだった。

一年二か月の休暇であった。園務のことは絶えず頭にあったものの毎日の空白はおおうべくもなかった。私は初心に返り緊張と興奮と不安とが入り混じった気持ちで、再び門をくぐった。私の心配をよそに四十三名の子供たちは大喜びで迎えてくれた。夏は終わりに近かった。あれから二年がたとうとしている。

園では二学級編成を生かした、四歳五歳の合同保育が多くの活動に取り入れられていた。

子供たちを縦割にした経験や活動では、三歳の年令の開きにもかかわらず

 

 

 


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