教育福島0093号(1984年(S59)08月)-027page

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にして解決する機械ができているからといって、頭も心も使うことを忘れていいということだろうか。

人間性活が豊かになった現在だからこそ、創造の原点として、身体生活を通した体験をぜひにと思うのである。

(会津少年自然の家指導主事)

 

夏、あれこれ

村越 ちよ

 

らぐのではないかと、遠く安達太良山の白くわき上る入道雲をみあげるひと時。

 

にわか雨でも降ってくれれば、むし暑さも少しはやわらぐのではないかと、遠く安達太良山の白くわき上る入道雲をみあげるひと時。

 

連日の暑さのなかで、あれもこれもと気ばかりあせるこのごろですが、夏になるといつも想い出し、一つのはげみになっていることがあります。それは、通信教育の夏季スクーリングのことです。若さと経験のなさのため、同僚の迷惑も考えず、四年間も毎年受講したのです。私の無理を気持よく受け入れてくれた上司や同僚に感謝の気持でいっぱいです。

焼けつくような夏の太陽の下で体育実技をしたこと。昼食もそこそこに教室移動のために走ったこと。暑さと寝むけ予防にレモンをかじったこと。遠く北海道や北陸、九州の友達といろいろ話のできたこと。当時辛かったことも今では楽しい思い出となっております。

連日の猛暑と都会の騒々しさと、自分の体力のなさ、能力のなさに苦しみ、何度挫折しかかったかしれません。そのたびに多くの人たちに勇気づけられ励まされたのです。

盲目の人が介護者を伴って受講している姿、胸がジーンと熱くなるものがありました。幼な子をつれての女性。郷里に残してきた幼児や奥様の写真を胸にはげんでいる人。退職をしてまで受講し、終れば職さがしをしなければならない人。沖縄から一年間の貯金をはたいて受講にきた人。人。人。私の遊び半分の気持がはずかしく、情けなくなったことを忘れることができません。自ら苦難に向ってはげんでいる人たちの大勢いるということ。目標に向って精いっぱい努力している人たちの生気あふれる姿を見、話を聞き、どんなにはげみになったことでしょうか。

日々の仕事は、とかくマンネリに陥り、時の流れのままになりがちですが、あのスクーリングの時の殺人的な暑さと精神的・肉体的な苦痛を思うと、もっと勉強をし、努力もしなければと、自ら勇気づけているのです。

仕事といえば、父が来客と話をしているのを何気なく聞いた一言も、一寸した話ですが、なぜか忘れられず、ずっと仕事上の一つの指針になっておりました。それは「今まで仕事をやっていく上で、自分で判断しなければならない立場になった場合、上司だったらどのようにしたであろうか。ということを常に頭に入れていた」という意味のことです。

これと全く同じことを、最近ある本で読みました。人や年齢、立場には関係ないことだとおどろき、改めて感心しました。それはヤンマーディーゼル株式会社の社長山岡淳男氏が書いていたものです。彼は、父・兄の相つぐ死亡により三十八歳の若さで会社を継ぐようになったそうです。全国に数十の支店を持ち、実績のある一つの企業を継いで、すべての決裁をしなければならなくなったのです。そのときの判断の一つに「こんなとき父だったらどうするかな?兄だったらどうしただろうか」と常に考えて行なったそうです。

山岡社長・父・私と仕事の内容や立場こそちがえ、仕事をする上で、共通するものではないかと思うのです。

私たちの仕事は一人でできるものではありません。あらゆる方向に気をくばり、時には同僚の意見を聞き、「上司だったらどう判断するだろうか」と常に考えて仕事を行うべきだと思うのです。最終的に決裁を受ける場合、自分の行ったやりかたが最良だったかどうか、もっと良い方法があったのではないかと、常に考え、向上の精神を持つべきだと思うのです。

 

広大な敷地とすばらしい自然環境にめぐまれたこの学校で楽しく仕事のできることは、大変幸せなことだと思うのです。

冬は寒く、夏はまた最高にむし暑いこの事務室です。朝から電話が鳴り、来客のとりつぎや、先生がたや生徒の応待に、またソロバンをはじき、ペンを走らせながら、探求の精神を忘れず、常に前進の姿勢で仕事をしたいと思っております。

(郡山北工業高等学校副主査)

 

 

 

 

 


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