教育福島0093号(1984年(S59)08月)-028page
夏は旅
渡部 ツヤ子
夏が近づいてくると、私の心に旅への想いがうずき始める。芭蕉の、
「片雲の風に誘われて漂泊の思い…」ほどの風流な旅とまではいかないが、日頃の忙しさから解放され、史蹟を訪ね、美しい自然の中に身をおく、あのひとときがたまらない。
四年前の夏、私は、県互助会の研修団体に参加して、小三の息子と北海道へ飛んだ。
北海道の雄大な風景のかずかずは十分目を楽しませてくれたが、特に心に残ったのは、アイヌの民俗楽器「ムックリ」の音色と、手織り工芸の優佳良織の作品である。
一日目の午後、私たちは、白老のアイヌコタンを訪れ、アイヌの踊りを見物した。その踊りの伴奏として使われた竹と糸だけの楽器「ムックリ」の物悲しいひびきは、滅びゆくアイヌ民族の哀歌を聞く思いがした。さっそく、息子と買い求め、音出しに挑戦し、その音色を楽しんだ。
そしてもう一つ、私の心をとらえてはなさなかったものは、北海道の風土が生んだという手織りつむぎ、優佳良織の美である。旭川の工芸家木内綾さんの創作工芸で、羊毛を基調とし、亜麻、絹などの素材を何百色にも染め分け、一つの作品に二百色以上の糸を使い、永い歳月をかけて手織りにした、多彩で微妙な色の調和の芸術である。北海道の自然をテーマにした「流永」「サンゴソウ」「ハマナス」「冬の摩周湖」などの作品の多彩な色相の重なり合いから、一見鮮烈な印象を受けるが、その背景に何ともいわれないやさしさが感じられるのである。工程のすべてが手作業ということで、高価なものばかりだったが、奮発して買い求めてきたペンケースと栞が今も私の身辺に、華やぎをそえてくれている。
そして旅は友。小三の息子は、山形から職員旅行で参加されたK先生に特にかわいがってもらい、屈斜路湖での足こぎボート乗りなどのたくさんの思い出ができ、大喜びであった。
そして二年前の夏、今年は五年生になった息子と九州へ飛んだ。九州の空と海はあくまでも青く、いたるところに神話にまつわる伝説が語り継がれていた。
一日目の夕方、私たちは指宿海岸の砂むし風呂を訪ねた。太平洋の怒涛が砕ける砂浜に穴を堀ってもらい、浴衣姿で横たわり、首まで砂をかけてもらって十数分。地中からの熱気がじわじわと体全体をつつみ、汗がにじんできて、夜行列車と飛行機を乗り継いできた旅の疲れが音をたてて抜けてゆくような爽快さを味わったのだった。
いろいろなものを見た中で、阿蘇、長崎などの風景や名所は言うまでもなくすばらしいものであったが、何といっても、心に残ったのは、大分、深田の里の臼杵石佛群との出会いである。平安から鎌倉の頃の作品と目され、現存する六十余体の石佛群は、千二百年の歴史を秘め、ひっそりとその出合いに身を置いていた。惜しくも近年の地震で首が落ちてしまったという大日如来像のつつむような優しさに、しばし心の重荷を預けて来た次第である。
旅は友、九州旅行でも、行く先々の風景をまたたくまにクレヨンスケッチをなさる若いカップルの先生方と親しくなり、楽しい旅をすることができたのである。
夏は旅。それも国内がいい。私は一人、それを隔年と心に決めている。今年は、萩、津和野のある山陰、山陽を訪ね、山口県宇部市に住む旧友との再会も!と心おどらせているこの頃である。
(小高町立小高小学校教諭)
夏に想う
木田 義廣
夏休みに入る直前の晴天の日を迎えると、母校の小学校では自分の勉強机を洗う行事があった。学校のすぐ下を流れる川に机を担いで行くのである。
みんな遠足にでも行くような気持ちで、ハシャギながら清流に机を浸し、砂を藁だわしにつけてこするのである。きれいになった机を運び、校庭で乾かしている間に教室の床も水洗いをするのである。乾いた頃、机を教室に入れた所でみんな座席につくと、先生は、「きれいな机というのはこのように白い木机が見える机をいうんだ。どうだ気持ちいいだろう」という。薄黒い机がこんなにきれいになった自分の机をさすりながら、子供心に美しさ、清潔さの実感を味わったような記憶がある。
昔の児童用の机は二人用のもので、上にふたがあり自由に取りはずしができたのでいろんな所に利用できた。二人用の机であるから座席の相手が誰になるか子供達は興味と不安で先生の発表を待ったものである。先生もこの組