教育福島0093号(1984年(S59)08月)-029page
みあわせには大分気を使ったようである。男女共学であっても男は男、女は女で組むのである。男女七才にして席を同じくせずという思想が生きていた時代であったから当然だった。
さて、机を洗うこの川の名を玉造川というのであるが、八茎に源を発し駒込を経て柳生まで八キロメートル程にもなろうか。柳生の川下は薬王寺で、ここまでくるとこの川は仁井田川と名を変えるのである。どうしてこう変わったのか知らないが、ただ薬王寺に入るとこの川は様子が変わることは確かである。先ず川に白石が殆んどない。砂も違えば石も違う。清流の感じもしない。柳生までの玉造川は石が硬質で黒く、何といっても真白い白石の散在する川底がきれいだ。黒と白の調和がよく、大小の石の間を流れるせせらぎ、かじか、蛙の鳴き声が一段と清流の美しさをひきたててくれる。このような違いを見ると川の名が変わるのもあたりまえとも思える。
この玉造川は、小学校時代を過ごした柳生の人家の軒の前を流れている。夏休みになると、ワンパクどもはみんなこの川で生活するのが日課となる。川原の砂・石・浅瀬・淵等それぞれの場所に年齢に応じた遊び場が自然にきまっている。
小さい子は川原と水たまり、中学年は浅瀬、高学年は深い流れや淵がそれぞれの場所である。その遊び場にはそこにふさわしい魚がいて、その魚とりが遊びであり仕事である。メダカ、カジカ、ふな、うぐい、あゆ等であるが、同じ魚でも幼魚から成魚まで住み家が違い、また、魚種によっても異なる。自然界の生きものと人間のかかわりは不思議に調和していて、遊び場と魚と子供との組み合わせが実にうまくいっているのに驚かされる。
うぐい、ふな等の大物は提防の防災施設の中に住む。淵であるから水にもぐり、枠に組まれた石の間に両手を入れ魚を手掴みするのであるが、両手を左右から入れると逃げ場を失った魚どもが胸や腹につきあたる。こんな時は大漁である。魚の手掴みは上手下手に相当の差がある。先輩の名手にききながらよく水中にもぐったものだ。水中で石の間に突っ込んだ手が抜けなくなり、溺れかかったこともあった。
日が西に傾き涼しくなると、ぽつぽつ川からあがり始める。ワンパクどもがみないなくなると、交代に先輩兄貴たちの流し釣りが始まる。そして日が落ち夕やみがせまる頃になると彼等も引きあげる。
玉造川は静寂を取りもどし、せせらぎの音が一きわ冴えわたり一日の日課が終わる。
* * * * *
今年の夏も真近になった。夏を想うと、ここに述べたような回想になってしまうのであるが、私にとって玉造川は夏そのものであり、望郷の心なのである。
先日、四十年ぶりにこの川を歩いて見たが、両岸は昔の面影を留めていたものの川の流れは全く変り果てていた。せせらぎは消え、淀んだ川の流れには音もない。清流に生きた昔の魚たちの姿は見えなくなり別の魚たちが住みついているという。川で遊ぶ子供達の姿もなく釣する人もないと聞いた。
この変化は、水害防止のダムが出来てからだというのであるが、安全と子供たちから見はなされた川との二つの選択に心がゆさぶられ、郷愁の想い半ばに川の散策も中止してしまった。
(いわき市立小名浜第一中学校校長)
汗みずく……
八月ともなれば夏も盛り。池内たけしの排句「居ながらに汗の流るる日なりにけり」といった暑さが続くと、ちょっと動いただけで「汗みずく」になってしまいます。汗びっしょりになる「汗みずく」の「みずく」は「水漬く」が語源で、水につかること。着ている衣服が水にひたったようにぬれていることをいいます。
「万葉集」巻十八にある大伴家持の歌「海ゆかば水漬くかばね……」の「水漬く」と同じですから、ずいぶん古い言葉を使っているわけですね。