教育福島0094号(1984年(S59)09月)-023page
八甲田山を越え青森へ出る。更に北上し、津軽の海岸沿いを走った。ちょうどそのころから折あしく台風が接近しはじめて、ひどい日になりスケッチはおろか視界もきかないありさまとなった。風雨まじりの荒れ模様で、突堤や漁村が荒波をかぶっている光景はすさまじいものがあった。迷いながらもようやく本州最北端の地、竜飛岬に立った。太宰治の小説「津軽」の「竜飛岬、ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない」という一節を思い出す。台風の去るのを待つまでもなく、灯台のある風景を急いで描きカメラにもおさめて、早々とひきあげ帰路についた。いま想うと、なんとあわただしい車の旅であったことか…。
旅を終えた後、地図をひろげながらたどった行程をふりかえると、あの時「海に向かって、花にうもれていいた風情のある家」のことや、あの場所で「貝がらを敷きつめた狭い道を、画材をかついで海辺へ降りて行っていたなら、そのまま絵になるような風景に、ふと出あっていたかも知れない」などと想われてならなかった。
かつて、同じ職場に美術の先生で、水彩画のたいへん上手なHさんがいた。彼とは、よく絵の話に熱中したものだ。描画のことで話しあっているうち、彼は、汽車とバスを乗りついで、夏休みに竜飛岬までスケッチ旅行をしてきたという。彼の話から偶然にも、わたしとおおよそ同じような行程をたどってきたことに、いささか驚かされた。彼は、わたしと違って、車を利用しないためもあって、足で取材し結構いいところを見つけてきて、モチーフに不足がない。最近は、専ら漁港をテーマに取り組み、いい絵を描いていることからもうなずけるところがある。
車の旅は、たしかに便利である。しかし、それだけに、つい先を急いでしまい、めぼしい場所で、スピードを緩めるだけで過ぎてしまうことが多い。その度になにか大きなものが失われていくような気がしてならない。こうした取材の旅の回想は、限りなく続いていく。あいにく台風の邪魔が入って、ことさら制作に結びつくような取材は得られなかったが、やがて、いつの日か、いまよりもいくらか生活にゆとりができて、再び津軽の海へ車を走らせることもあろう。Kさんの絵が、いつまでも心に残っていく限り、あてない取材の旅は、続いていきそうである。
(福島市立渡利中学校教諭)
写真を撮る心
小泉貞一
昨今の写真機はシャッターを押せば自動的にピントが合い、暗ければフラッシュ装置が飛び出してくる。しかも中身はあたかも電気製品を想わせるほどの集積回路でできている。
いろいろな場所で写真機があたりまえのように幅を利かせている。
私の担当している高校生の写真部の生徒でさえ自動化の波が押し寄せてきている。一流メーカーの最高機種に交換レンズを教多く取り揃え展示会さながら写真を撮りまくっている。しかし、いずれの場合にもこれぞといった作品に出合うことは数少ない。観光地の絵ハガキやスターのブロマイドに類するものが多すぎる。もちろん、そういった作品が写真でないと言っているわけではなく、立派な写真ではあるが、写真の特質の一部分しか利用していない∩
写真機を使うのではなく、写真機のメカに人間が使われているような気がしてならない。ちょうど今のコンピュータのように。
写真機という機械は実に面白い性格