教育福島0094号(1984年(S59)09月)-024page

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を持っていて、機械でありながら使う人間の精神状態までをも表現してしまう。写し主の思想・嗜好・物の考えかたまで、たった一回のシャッターボタンの操作で露呈してしまう。実に恐しい機械である。

時折り、写真部の生徒たちに写真のモチーフとかテーマについての質問を受けることがある。その時私は決まって次のような話しをする。

「写真の特質とは目の当りにするものを精密かっ正確に写し止め、それを再現・保存することが目的で、その特質を生かして報道・学術・印刷そして芸術などに利用される。仮に花の美しさをテーマにするならば、美しく咲く花も生涯の一時期だけであって、風雨にさらされている時期がはるかに長いことも見落してはならない。そしてこれらは花ばかりでなく、虫にも人間にも風景にも言えることであって、それらを写真に写し込めるようでなければならない。例えば山に登り山や風景に向かったとき、そのときどきの現像によりさまざまの感動を覚える。それはただ単に美しいといった感じを越えた自然の厳しさ、偉大さであるはずである。その時受けた感動を忠実に再現し、その作品を他人が見たときに自分が受けたときと同じような共感と感動を呼び起こさせる作品でなければならない。

そのためには毎月の学習活動の中で国語の学習に古を想い、音楽の学習に人の心を知り、数学の学習に思考力を養えるようなものでなければならない、

そして、物を良く観察する心と、良い写真を鑑賞するなどの生活の心掛けを大事にすることである。ドタバタ喜劇のテレビに良い写真は生まれてこないし、便利な写真機ほどどこかに落し穴があることにも気が付かなければならない」と。

この夏休みに、写真部の生徒を二泊三日の日程で尾瀬に連れていく予定である。

 

(白河実業高等学校教諭)

 

木曽路にて

磯上昌弘

 

だろうか。それでも私にとって木曽路探索は心に残る「旅らしい旅」である。

 

数ある旅の中で旅情を慰めるような印象的な旅は数少ない。物見遊山に終始してきたためだろうか。それでも私にとって木曽路探索は心に残る「旅らしい旅」である。

木曽路は昔から旅人の心を慰めているだけあって確かに風光明媚である。木曽八景の一つで浦島太郎の伝説にまつわる「寝覚(ねざめ)の床」などの景勝は、感歎しながら通ったといわれる旅人の心理が今なお手にとるようである。しかし、それにもまして印象的なのは、島崎藤村とゆかりの深い、そして今なお山あいにひっそりとした姿をとどめている馬籠(まごめ)、妻籠(まご)などの宿場町である。

私は妻籠に泊った。建物は格子の二階家で道路をはさんで軒を並べている。家の中に入ると昔ながらのいろりがあって鉄びんのふたがチンチン音を立てていた。なん回か木曽路を訪れているうちに知り合って結ばれたという若夫婦や若者グループといろりを囲み夜のふけるまでよもやま話に花を咲かせたのが楽しい思い出である。

この妻籠には藤村の初恋の人「おゆうさん」が嫁いだ三階建てのりっぱな脇本陣があったが、現在はこの家が奥谷郷土館として公開され、問屋関係の書状や民具など木曽路ゆかりの資料約一千点が陳列されている。

さて、藤村の生まれ故郷は馬籠であり妻籠とはさほど離れていない。生家は当時大火で焼失し現在はその場所に藤村記念館が建ててある。そして、その記念館のすぐ隣りに大黒屋というお土産店がある。軒下にはくす玉のような酒林(さかばやし)が下がっている、すなわちこの大黒屋は昔は酒造店だったのである。言うまでもなく「おゆうさん」はこの家の娘であり、この「おゆうさん」こそ藤村の「初恋」の主人公だったのである。

初恋

まだあげそめし前髪のりんごのもとに見えしとき前にさしたる花ぐしの花ある君と思いけり  (以下略)

私は大黒屋に行って、それほど必要でない物を買いながら「おゆうさん」のことをあれこれ聞いてみた。また妻籠でも道行く老人に聞いてみた。奥谷郷土館では「おゆうさん」の遺品にもそっと触れてみた。そして藤村記念館では藤村の若かりしころの写真や遺品を飽きることなく見詰めたりもした。また、この初恋の詩をなん回も口ずさんでみた。誠にロマンチックなのである。それは、文豪島崎藤村にも、われわれ凡人と少しも変わらない夢多い青春時代があったからである。

私は木曽路を探索しながら藤村の初恋にひかれもしたが、ここでもう一つつけ加えたい。それは藤村と木曽路との関連である。あの有名な「夜明け前」は藤村の晩年の作であるが、木曽路の風光明媚もさることながら、この名作によって木曽路が脚光を浴びたと言ってもよいのではなかろうか。

「木曽路はすべて山の中である」この書き出しで木曽路のすべてが表現されている。そう思うのは私一人ではないであろう。

また藤村記念館の入口には、こんな言葉が残されている。

血につながるふるさと

心につながるふるさと

 

 

 


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