教育福島0094号(1984年(S59)09月)-025page

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言葉につながるふるさと

藤村は昭和十八年に七十一才でなくなっているが、晩年までいかに愛郷心を抱いていたかを、この言葉は今でも私たちに語りかけてくれる。(いわき市教育委員会社会教育委員)

 

とにかく十年

松澤 肇

 

年。高校卒業の時から数えれば、故郷を離れではや十年がたとうとしている。

 

会津にやって来てようやく三年。高校卒業の時から数えれば、故郷を離れではや十年がたとうとしている。

東京に六年(大学浪人・就職浪人)年ズツハ、親ニハ厄介ナ話ダッタロウ)故郷で一年、そしてやって来た会津でもう三年。いつの間にか二十八歳になってしまうた。思えば大学入試に失敗してフラッと九州一周の旅に出かけた時がそもそもの始まりだったような気がする。

以来十年。頼りなくも故郷を離れて名前ばかりは世帯主となり、いろいろな方のお世話になりながら、どうにかこうにかこの奥会津の地で人らしく暮らせるようになった。根がついてきた。そんな気がする。

知らない土地、知らない人々。それにしては会津という土地は妙に懐しい。全国に知られた歴史のある土地だからなのか(そう言えば、就職面接に行った生徒たちに聞くと、なまじの地名を言うより「会津」と言った方が通りが良いそうだ)、よく言う会津の気風・人情のせいなのか、あるいは雪深く空の狭い山国の小さな高校に、県下全域から集まった様々な人たちが肩寄せ合ってがんばっている職場だからなのか、不思議な事にこの三年、ついぞ会津を嫌だとか、来るんじゃなかったとか思った事がない(ナニシロコノ土地デ結婚マデシテシマッタ)。むしろ下宿住まいであるとか、社会人風のつきあいであるとか、苦手だったり嫌だったりした事が、この土地に来て意外にスムースに処理できるようになった事に、自分自信驚いているくらいなのだ。そういう年齢・そういう時期と言われてしまえばそれまでだが、そんな意味でこの土地は私のターニングポイントのような気がする。だんだんに根っこが伸びていく感じとでもいうのか、故郷を離れて十年の根無草のような生き方が、どうやら一段落しそうな感じなのだ。

現在私は自家用車にのって片道数十キロメートル余の道のりを毎日通勤している。「日々旅にして旅をすみかとす」るような生活をしながらさほど苦痛にも感じられないのは、これが日常だからなのだろう。一年前の私には、これだけの長い自家用車での道のりはかなりたつぶりしたものであったし、それなりに刺激的なものであった筈だ。それと同様に、一年前には私には荷がかちすぎるように思われた事、些細な事ながらも思わず動揺してしまったような事どもが、今ではさほどのインパクトを持ち得なくなってきている。教壇に立つようになってようやく四年。日々、様々に起きる出来事が、日常的な当然の出来事として受けとめられるようになってきたという事なのだろうか。驚かされる事、困難を感じる事、激してしまう事、今だって毎日起きてはいるけれども、以前とは少し変わってきている点は、何とはない余裕、これにつきるように思われる。あわてながらも、とまどいながらも、何とかなるだろうと思えるようになってきたのだから、これは相当な事なのではないだろうか。もっともそう思えるようになった最大の原因は、うちの高校が非常に落ち着いているからなのだろうが。

昨春、初めて学級を持った。男女合わせて三十五名。この子たちとの出会いも、私を変えてくれた大きな要因と考えても良いだろう。護るべきもの、拠って立つべき所を得て腰が定まったような気もする。もしかすると、こちらの方が最大の原因なのかもしれない。

とにかく十年。根無草のような、行きずりの旅行者のような生活が終わりつつあるのを感じながら、この九月、私は子供たちと一諸に初めての修学旅行へ行く。

 (川口高等学校教諭)

 

心のぜいたくを求めて

前田喜代子

 

がちな自分に、幼児教育者として自責の念にかられろことの多いこの頃です。

 

人は年を重ねるごとに穏やかさを増すといいますが、時として子どもたちの騒ぐ声にいらだちを覚え、「今日の先生はご気嫌ななめ」と感じさせてしまう私。美しい物に感動し、ゆとり身持っておおらかに過ごしたいと思い左がらも、何かにせきたてられるかのように、あたふたと過ごしてしまう。ンても大切なことには目をつぶり、目牛のことだけにとらわれがちな自分に、幼児教育者として自責の念にかられろことの多いこの頃です。

そんな私に、思いやりの気持ちや感動する心を取り戻し、つぎはぎだらけで今にも切れそうな心をいやし、活力を与えてくれるもの、また、どんな人をも素直で、素朴な気持ちにしてし主うもの、それが旅だと思うのです。

独身時代、一人旅に憧れながらも、心配症で、憶病な私はつい経験できずじまいでした。年一回は旅をしようと互いに忙しいスケジュールを考慮し、主人との二人旅を始めて五年になり生す。その中で、一年目の修善寺への旅

 

 

 


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