教育福島0094号(1984年(S59)09月)-026page

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がとても印象深く思い出されます。

修善寺は源家ゆかりの古い歴史を持つ温泉街で、老杉に包まれた静寂そのものの宿の表構えがそんな時代を偲ばせてくれます。また、台地にどっかりと根をおろし、高々とそびえる老杉は自分のちっぽけさを改めてさとしてもくれたのです。

私たちの通された部屋の入口は、格子戸で、小さな庭つきの和室でした。古い趣きを残しながらも、冷暖房完備バス・トイレつきなど、時代への対応も見事で、しかもそれがわからぬようにさりげなく隠されているのです。

気持ちが滅入ると、物言わぬ調度品でも時として視野に入ってほしくないほど邪魔になり、夜・昼なく片づけを始める私です。ひっそりと控え目に調度されたこの部屋ひとつにも、ご主人の旅人に対する思いやりがうかがわれいつしか心もなごむのでした。

お世話をしてくださった五十がらみの品のある方は、長距離運転の疲れを気づかうやさしさと押しつけがましくなく、細やかで、控え目な心配りで、日常雑多の煩わしさから逃避したいと思っていた私を人恋しく、そしておしゃべりにさせたようでもありました。「お友達はお孫さんの子もりをしたり趣味を楽しんだりして、のんびり過ごしている方が多いんですけど、私は損な性分で…」と言われたその方は、私の二倍もの人生を歩まれ、なおかつ、しっかりと自分を見つめて生きておられるのです。お膳の用意をしながら話される一語一語が、おごらず、さりげなく、私たちの心を満たしてくれました。こうした心配りは、長い歳月の中で会得され、身につけられたものなのでしょう。

「ガソリンをお入れしておきました」と横づけにされた車は、ピカピカに洗ってありました。主人いわく、「一流の上にも超がつく」と言われるこのホテルは、修善寺でも屈指の宿としてかつては天皇陛下ご夫妻もお泊りになられたという。やはり、旅人を迎えるそれなりの心構えともてなしが続けられてきたからなのでしょう。

一夜の宿ではありましたが、ご主人の思いやりが、迎えてくれた人たちの立居振舞や調度品のひとつひとつにうかがわれ、かつ、仕事に徹することのすばらしさを学び、満たされた気持ちで修善寺をあとにしたのでした。

昨年は、飛行機を利用して少し遠い所へと、モノレールに乗って羽田へ向かったのでした。思いは目的地に馳せながらも、まずは腹ごしらえ。空港のレストランで食事をすませ、いざ出発と思いきや、悪天候のため欠航中とのこと。地団駄踏んで悔しがっても、結局は羽田往復の旅に終ってしまいました。疲れだけが残ったような気がしますが、思えばなんとこっけいで、味のある旅をしたことかと、思わず笑いがこみ上げてきます。

これからも続けられるであろうこの二人旅。行く先々の土地の人たちに接し、味覚を楽しみながら、広い自然に浸り、いろいろなものに感動し、人間性豊かな人生を送り、そこで得た何分の一かでも子どもたちに分かちあげてやりたいと思います。

今年もまた、心のぜいたくを求めて旅に出てみたい。それも、遠い昔を偲ばせてくれるような、そんな所へ…。

(原町市立石神第二幼稚園教諭)

 

二つの課題

阿部正春

 

夢想していた。教職に抱いてきた希望は、静かな思索と授業の日々であった。

 

九十九折の駒止峠を、引越し荷物を積んだトラックで登りつめた私は、樹間に休み、眼下に開ける南郷の里を眺望しながら、これから始まる山村での教員生活を夢想していた。教職に抱いてきた希望は、静かな思索と授業の日々であった。

それから早くも二年の月日が流れた。新任校での職務は、若い教師の夢想を許すほど安易なものではなかった。職員数が二十人ほどで、しかもその大半を二十歳代の若い教師が占めている職場では、いち早く教師としての自己形成を遂げ、責任ある仕事を活動的に行なうことを求められていたのである。

私に与えられた試練は、まず生徒指導の負担が大きいことであった。教育的信念も確立していない私には、問題行動を繰返す生徒との直接の関係に、教師として立たされたことは、すくなからぬ心理的負担となった。現在の学校教育のもつ問題点を、教育現場に入ってはじめて思い知ったのだった。

学習指導にしても、授業はできるだけ水準を落とさずに、しっかりした構成の中で進めようとした私は、さっそく生徒の反発をうけた。授業を脱線しても、生徒とのコミュニケーションを大切にする先生を慕う生徒からみれば、私は気むずかしく冷たい教師だったのである。経験を積んだ教師ならば、生徒を授業についてこさせるのに必要な信頼関係を作りながら、生徒の学力や興味に応じた巧みな教材構成を行なうのであろうが、未熟な教師である私には、それができなかったのである。そして、学習指導上の失敗は、必ず生活指導上の問題ともなってはねかえってきた。

三年目を迎えた現在、ようやく私の教員生活にも余裕が生まれてきたように思う。近ごろ、教職活動について、新しく生まれてきた関心は、生徒の人間性を陶冶するという意味での学習の場を、いかに構成していくかということである。そのためには、私には次の二つの課題が与えられていると思う。

 

 

 


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