教育福島0095号(1984年(S59)10月)-006page
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スポーツ指導のあり方に思うこと
−ロサンゼルスオリンピック大会見聞から−
日本体育大学助教授 関口脩
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〔筆者紹介〕
氏名 関口 脩・せきぐちおさむ
生年月日 昭和二十二年一月二十二日
本籍群馬県前橋市岩神町
最終学歴
昭和四十四年三月
日本体育大学体育学部体育学科卒業
職歴
昭和四十五年四月
日本体育大学奉職〜現在に至る
日本体育大学助教授
コーチ歴
第二十一回モントリオールオリンピックコーチ
第二十三回ロサンゼルスオリンピックコーチ
第八回アジア大会(タイ・バンコック)コーチ
第九回アジア大会(インド・ニューデリー)コーチ
日本ウェイトリフティング協会強化コーチ
日本体育大学ウェイトリフティング部監督
(昭和四十四年〜五十八年)
全日本大学対抗戦(七回優勝)
(現在)日本体育大学ウェイトリフティング部部長
主な著書
近代トレーニングの実技と理論(日本体育社)
コーチのためのトレーニング科学(大修館)
現代体育・スポーツ体系・全二十一巻(講談社)
ソ連、東欧諸国のボイコット、政治化、商業化、完全民営方式によるオリンピックといくつかの問題を抱えながらも聖火は点灯された。
一九八四年七月二十八日、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにて、世界各国から集まった九万人の大観衆の見守る中、開会式が開始された。それは、あっと驚く宇宙時代を思わせるような人間ジェットをはじめ、ハリウッドのショーを見ているようなさまざまな民族衣裳など、今までに見られなかった豪華なセレモニーであり、中でもこれらの民族衣装をまとった少女達の目の輝やきは印象的であった。また、オリンピック発祥の地ギリシャを先頭に行進した参加百四十ヶ国の各国選手団による入場行進では、終始乱れず毅然とした形で行進した日本や中国、スタンドに愛嬌を振りまきながら笑顔で行進したイタリア、フランスそして地元アメリカなどそれぞれのお国振りが窺えた。さらに社会主義国より参加したルーマニアに対する熱狂的な歓迎振りにも、片肺オリンピックと言われた今大会の特徴を示していた。
私がコーチとして参加したウェイトリフティング競技は、開会式の翌日から競技が行われ、日本選手団第一号のメダルを目指して試合に臨んだ。しかし、メダル一番手候補の真鍋選手は、二十日前に記録会で痛めた手首が悪化し負傷までに至り、バーベルを挙上することができない状態で、十分な調整トレーニングができず最悪のコンディションであった。だが試合では失格させてはならない。三位以内は確保しなければという状況の中で、スタート重量を下げて競技に入り、なんとか三位入賞を果たして日本選手団最初の日の丸をあげる栄誉に輝やくことができた。これは思うに真鍋選手の人並はずれた精神力の賜物であり、あらためて人間のもつ秘めた底力の大き
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