教育福島0095号(1984年(S59)10月)-007page

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提言

 

さというものを考えさせられた。これを引き金に、ウェイトリフティングは出場選手九名が全員六位以内に入賞するという成果をおさめることができた。

また今大会では、選手村と会場の距離が遠かったこと、村外コーチ(選手村に入らないコーチ)にはI・Dカードが発行されず、練習場に入ることができなかったこと、試合当日のセコンド(選手に付添う助言、世話役)についても制限されたことなど、選手とコーチが一体となって戦う体制がとれなかったことは残念でならない。と同時に、大きな大会においては、このように競技そのものとともにそれに付随する条件をいかに整えるか、工夫をする必要があることを考えさせられた。

さて、オリンピックや国際大会を通じて、近年、アジアにおける中国、韓国の台頭、東ドイツ、ブルガリア、キューバなどの躍進を見ると、我が国は今まで以上に競技力を向上させるべく強化策を講じないと、世界の上位を保つことは至難なことと思われる。その一つとして、スポーツ大国と言われる国々のトップアスリートの養成を中心とした指導システムをみると、そのほとんどを学校体育に依存している我が国の場合と異なり、その中心は、社会体育の中で学校体育との連繋を密に取りながら、タレントを早期に発掘し、人間の発育発達に順じた形で一貫性のある指導がなされている点に着目すべきである。またその根底には、それぞれのスポーツ種目に適した施設の充実と同時に、指導者の充実であり、特に社会体育指導者の地位が、社会的に高く評価されていることもみのがせない。

我が国においても、今後スポーツや生涯体育の発展のために、もう一度社会体育のあり方について見直すことが急務であろう。

最後に、「鉄は自からのサビで自からを滅ぼす」の諺のように、人間も好むと好まざるとにかかわらず、心身を鍛えなければ機能は萎縮、退化してしまうという自然科学の原理を認識しなければならない。機械化され省力化された現代社会は、体力、健康を著しく衰退させ、その思想まで軟弱化させているといっても過言ではない。ロサンゼルスオリンピックに参加し、各国のスポーツ選手、コーチ、そしてスポーツを見て楽しむ多くの人々を見て、体育・スポーツのあり方について真剣に取り組む必要性と、同時にスポーツに限りず国際社会の中での人間としての生き方について考えさせられたしだいである。

 

ウェイトリフティング競技会場にて

ウェイトリフティング競技会場にて

−52kg級真鍋選手を見守る三宅監督(後列・左から三人目)と筆者(その右どなり)

 

ロサンゼルスメモリアルコロシアム

ロサンゼルスメモリアルコロシアム

 

 

 


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